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水俣病認定50年 問われる支援の「立場性」

2018年12月12日付 中外日報(社説)

水俣病が公害病認定されてから50年の今年、様々な論議や考察が進んだが、最も重大なのは今も10万人を超える患者たちが苦しみの中にいる現実だ。現地で被害患者の相談を受ける仕事を続け、9月に著書『みな、やっとの思いで坂をのぼる』を出版した永野三智さんは「水俣だけでなく理不尽な目に遭っている人たちに共通する、どんなところにもある苦悩」と話す。だからこそ水俣病事件を巡る重い思索と論議は社会の様々な問題に通底する深みを持つ。

転居などで全国にも広がる被害者の中には、今なお認定されず何の補償もない人も多い。同様に有機水銀の中毒でも劇症患者に比べて手足のしびれなど慢性症状の患者が「詐病」と白眼視され、認定されれば「補償金で食べている」と非難される。福島第1原発事故の状況も同じで、故郷を破壊された人々は補償を受けた、受けないや避難を巡って溝が生じた。このような被害者同士が対立させられる構図により加害企業であるチッソや東京電力、国が批判を逃れることはあってはならないだろう。

記録映画「しえんしゃたちのみなまた」では、地元産の魚を行商する支援者が「自分も食べて一蓮托生」と語る場面もあり、支える姿勢や同時代に生きる者としての「立場性」が問われている。永野さんは「水俣病を生んだ社会に自分も生きてきた」責任を口にした。認定運動指導者だった漁師の緒方正人さんは『チッソは私であった』との著書を出し、申請をただ一人取り下げた。魚や人間や生き物のいのちを犠牲にして経済的欲望を追求した揚げ句に水俣病を生んだ社会で、企業にも国、行政のどこにも責任主体としての「人間」がいないことを見抜き、それは自らの事でもあると悟ったのだ。

人間存在の意味や生命の重みを見据え、それを抑圧する社会構造の根本に迫る長年の闘いの中であったからこそ被害者や支援者らによって獲得された根底的な視座は宗教にも通じる深みを持つ。だが、このような被害側の深い自己省察とは別に、加害企業や国・県の罪と責任は強く問われ続けなければならない。

水俣の地元で関わり続け『苦海浄土』を著した作家の石牟礼道子さんは、悩みながらも支援に加わる、あるいはただ一緒に苦しむ「共苦」を「もだえ加勢する」と表現し、運動が目指すものを「じゃなかしゃば(もう一つの世)」と語った。それはしかし、苦難に満ちた現世からの「浄土」や「天国」への逃避ではなく、紛れもないこの現実の社会を「もう一つの世」に改造することに違いない。