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文化と秩序 禁令ではなく自律こそ重要

2018年12月19日付 中外日報(社説)

ある学者の白寿祝賀会。老学者は青年時代の経験を語った。戦時のことである。

赤紙一枚で召集され、兵営で厳しい訓練を受けた。生活の全体が厳しい規制で縛られたのは勿論、動作から語り方、兵器や日常器具の扱い方に至るまで細かく指示され、命令に反するとたちまち体罰を受けた。思想と行動の自由は全くなかった。

いわゆる古兵は、何も考えずに規則に従っていればいいのだから、慣れてしまえば軍隊生活なんて楽なもんさ、万事要領だよと教えてくれたが、考えることに努めていた青年には、まさにそれができないのだった。

そんなある日、外出先で乞食を見掛けた。樹の下に筵を敷いて座り、ぼろぼろの着物の蚤だか虱だかを取っていた。青年はそれを見て、ああ、あそこには自由があると思った瞬間、熱い涙があふれてきて止まらなくなった。もしその時、乞食になるなら兵舎から出してやると言われたら、なんの躊躇もなしに乞食となることを選んだだろう、と。

さて戦い敗れて、内地勤務だったこともあって、命を全うして帰宅した青年がまずやったことは、高校時代の親友の消息を尋ねることだった。ところが3人の親友は3人とも戦死していた。才能に恵まれた真面目で優秀な人たちで、生きていれば優れた業績を挙げたに違いないのに、3人とも戦地で虫けらのように殺されたのだろう。本当に悲しかった。自由こそが大切なんだよと、老学者は語ったのである。

戦後、考えられないような自由が与えられた。混乱だか自由だか判然としないまま、とにかく旧来の規則やしきたりを改めることは簡単にできた。アプレゲール(戦後派)と呼ばれた若い男女の振る舞いは「あきれがえる」とからかわれたが、許容されていた。

変わってきたのは、混乱が収まって新しい秩序ができ、もはや戦後ではないといわれた昭和30年頃からだろう。不都合な、あるいは不当な秩序を変えようとしても簡単には変えられなくなったのである。それから次第に社会の諸側面で自由を抑圧するような法が施行され、規則や禁令が設けられるようになった。

それらにはむろん一応の根拠があって、必ずしも不当とはいえないのだが、生活が息苦しくなったと感じられることが多いのである。まるで規則が文化と秩序を成り立たせるかのようだ。しかし実は文化と秩序は、教養を深め良識を養った人間の自律によって成り立つのである。