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神とは何か 「価値」が一致しない社会

2019年1月16日付 中外日報(社説)

現在でも「神」は本当に存在するのかという問いがある。「神」といってイメージされるのは日本やギリシャ・ローマなどの古代神話の神々、特に中近東起源の一神教の「神」だが、具体的内容は必ずしも一定しないから、いきなり「神」はあるかといっても答えようがない。

他方、「神」は一般に見えないものとされているのに、多くの民族の言葉には「神」あるいはそれに相当する語があり、意味内容にはおおまかな一致がある。「人間の能力をはるかに超え、自然と人間に働き掛け、賞罰を与え、神を尊ぶ人を保護してその願いを聞く、この上もなく尊い存在」というようなことである。つまり、神という語の方がその「存在」よりも先にあるので、神は実際に存在するのかという問いよりも、何が神とされているかという問いの方が答えに確実性があることになる。

例えば太陽を神として拝んでいる人に、神は実在するかと聞いてみても、怪訝な顔をして、あそこにいると太陽を指さすだけだろう。さらにいえば、神は目に見えないものとされているから、まずはどこに「神のはたらき」が経験されているか、いかなる経験が神のはたらきに帰せられているか、という問いが、宗教の質を知るために有効なのである。

神とは何かという問いもそこから答えられることになる。例えば太陽にこの上もなく尊いものを見る人は、そこに太陽「神」のはたらきを見て、太陽神そのものは、いわば太陽の背後にある「人格」としてイメージするものである。

善、幸福、真実についても同様な事情がある。疑いようのない善や幸福や真実「そのもの」に接してこれを語った人はいない。しかしこれらの観念は多くの文化にあるのが普通で、従って善や幸福や真実がどこに見られ、経験されているかという問いの方が実際的で答えようもあるわけだ。またこの問いへの答えは、当人の見識を如実に示すことにもなる。

さて神や善や幸福や真実は最高価値と言い換えることができる。「価値」とは、何よりも大切なもの、尊いもの、人生を超えてそれに秩序と目標を与えるもの、という意味である。すると現代にはこの点に関して一致がないことが明らかになる。政府の高官が権力を乱用したとかしなかったとか、性的暴力を振るったとか振るわなかったとかいう問題で認識に一致がないのも、その表れだろう。あまり気付かれていないが、これらは実は現代には既にニヒリズムが蔓延している証拠ではないか。