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生体解剖事件から 人間のいのちの倫理とは

2019年1月23日付 中外日報(社説)

終戦直前に九州大医学部の医師らが捕虜の米軍兵士たちに実験手術を行い、後にB級戦犯となった「九州大学 生体解剖事件」の検証書を読み、関係者の遺族であるその著者から話を聞く研究会が関西で開かれた。墜落したB29爆撃機から脱出し西部軍に捕らえられた搭乗員8人から、生きたまま肺や心臓を取り出すなどのおぞましい事件は、戦争という異常時における科学技術の論理と人間の倫理という問題を鋭く突き付ける。

医局に絶対的に君臨する教授の「誰もしたことがない実験的手術を」という野心が、軍部との結託によって事を推し進めた。空襲で多くの日本人の命が奪われている時節で、「鬼畜米英」が叫ばれる。その爆撃の「犯人」であり、どうせ処刑される捕虜を実験に使うことは罪悪ではなく、医学の発展のためにむしろ良いことだという論理がまかり通った。

同様に大陸戦線で中国人を生体実験で虐殺した石井731部隊の例では、それによって得られた細菌兵器の医学的知見が占領米軍側に提供された見返りに医師たちは罪を問われず、その後も医学界で地位を保ったとされる。だが、善悪の価値基準が揺らぐような戦時、そして敗戦によるその逆転という混乱の中で、法や社会による断罪を免れたとしても一個人としての本人の心、人間世界の普遍的倫理からの追及、指弾は避けることができないのではないか。

九大事件を題材にした小説『海と毒薬』では、クリスチャンである遠藤周作によってこの問題があぶり出される。医局での自らの地位にこだわり、ためらいなく実験手術に参加した若い医師はしかし、自分には良心の呵責というものがないことに苦悩もする。「救い」に考えを巡らせ、周囲の動きに流される自らの“運命”から自由にしてくれるものを「神」と呼ぼうともする。全てを戦争という状況のせいに転嫁せず、小説は信仰にもつながる個人の倫理観を問題にした。それは人間社会の論理では捉えきれなくても、例えば神仏という絶対普遍的な価値を基準にした判断があり得る、「お天道さまは見ている」といった超越的裁断があり得るということだ。

それこそが宗教の確固たる領域のはずである。生命を人工的に操作する生殖補助医療における規範、核兵器や原発と人類の安全、尊厳といった枠組みでも同じこと。「社会の発展に寄与する」「人間の利益のため」を標榜する技術の暴走に対して、一般論ではなく具体的事象に関して「いのちの倫理」をいかに説得力を持って示せるか。宗教者の真価が問われる。