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ゲノム編集の暴走 問われる宗教的倫理観

2019年1月30日付 中外日報(社説)

昨年の11月末、中国の研究者がゲノム編集技術で人間の受精卵の遺伝子を操作し、双子が生まれたとの報道が世界を駆け巡った。ゲノム編集というのは、特定の遺伝子を外したり、別のものと入れ替えたりする技術で、すでに作物や家畜の品種改良には盛んに用いられている。ゲノム編集はすでに1990年代から用いられていたが、2012年にクリスパー・キャス9という新たなゲノム編集の手段が見いだされ、格段に効率よく特定遺伝子の除去や入れ替えができるようになった。

このゲノム編集を人間に用いると、特定遺伝子が病因と見なせる病気を治療、あるいは予防できるだろう。そこで、人間を対象としたゲノム編集の研究が急速に進んでいる。だが、すでに生まれた後の人間にこれを用いるのと、生まれる前の受精卵や生殖細胞にこれを用いるのでは、その意味するところが大きく異なる。

後者の場合、ゲノム編集を施した人間が生まれ、そのゲノムは子孫へと引き継がれることになるからだ。ヒトという種に変化を起こすことになる。

そこでまず、①受精卵や生殖細胞にゲノム編集を許容するのかどうかという問題がある。続いて、②ゲノム編集を施した受精卵を子宮に着床させ子どもとして生まれるのを許容するのかどうかという問題がある。世界的にはどちらも法で禁止している国が多くあり、後者は現段階ではしてはならないというのがグローバルな合意と考えられていた。

ところが、①の実行が15年に、昨年は②の実行が明らかになった。いずれも中国の科学者が行ったものだ。

世界的に批判の声が高まったが、今後も続く重い倫理的な問題は、医学的に期待できる治療や予防のため①、②を認めるのかどうか、認めるとすればどの程度まで認めるのかということである。いったんゲノム編集をした子の誕生を許容してしまえば、それをしてよい範囲を限定することは容易なことではない。そうなるとデザイナーベビー、あるいは人間改造が広まってしまう可能性がある。

ここで宗教的価値観・倫理観が問われる。ゲノム編集をした子を誕生させることは、なぜ許容できないのか。宗教的な価値観・倫理観が関わるこのような問題に、社会は答えざるを得ないところに来ていて、人文学や宗教の声を求めている。

今のところ宗教界は沈黙している。生命倫理問題に取り組んできた実績のある仏教の立場からの応答が特に期待されている。