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統計不正問題 数値至上主義の危うさ

2019年2月6日付 中外日報(社説)

厚生労働省の「毎月勤労統計」に重大な不正があり、延べ2千万人分の労働保険が総額530億円も過少給付されたことが発覚した。しかも、この不正統計にひそかにデータ補正がなされ、その結果、平均給与額が上昇したことも明らかになった。政府の「基幹統計」の信頼性が揺らいでしまうと同時に、補正による上昇分がアベノミクスによる賃金上昇のように喧伝されたことを問う見方もある。

ここでは視点を変えて、統計数値に国民が置く信頼というものについて考えてみたい。政府が出してくる統計データに対しては、国民の側は検証するのが極めて困難だ。たとえ生活実感と違うと思っても、それを客観的な権威あるものとして受け入れざるを得ない。今回のような不正発覚の一件は、政府統計のはらむ問題について教訓を与えてくれる。

内閣府の調査によれば、死刑制度を支持する割合が国民の8割を超えるが、新聞社などメディアの世論調査によれば約6割である。設問や調査手法の相違、また調査のタイミング(凶悪犯罪が起こった直後など)によって、有意な差が出てこよう。それにしてもこの差は大きく、統計データの過信を戒める判断材料になる。

出てくる結果は客観性を装っていても、データを算出する側に人為的な操作が入っていたり、あるいは予断や偏見の下に調査がなされていたりすると、統計数値は破壊的な作用を及ぼしてしまう。つまり、そのような統計数値に基づいて、誤った施策が取られて、国民生活の上に悪影響を与えてしまうのである。昨今のようにビッグデータを扱う時代になってくれば、その破壊性の規模も巨大化する。こうした事態をもたらす統計数値のことを、データサイエンティストのC・オニールは「大量(Mass)破壊兵器」をもじって「数学(Math)破壊兵器」と呼び、警告を発している。

これに対する自衛策としては、我々一人一人が統計数値に振り回されず、データの背景に何があるかを見抜く必要がある。また、自ら生身の人間として持つ実感を重視することも大切である。そうした実感には人間の心が通うものだからである。そして、人間の心情こそ、数字に還元されることのない、真にヒューマンなデータとして意義あるものだ。こうしたヒューマンデータは、生身の人間同士の交わりの中において算出され、活用されていく。宗教者には、普段から人々と交わる中で、自らのヒューマンデータを日々更新していくことが求められてこよう。