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宗教法制の流れ 「認証厳格化」の問題性

2019年2月13日付 中外日報(社説)

明治初年以来、訓令その他、宗教に関する法規は必要に応じて出されてきたが、近代日本初の総合的な宗教法である宗教団体法の制定は明治維新から約70年後、つまり今から80年前である。

三百有余の断片からなるといわれた宗教関係法令の中で、神仏教導職を廃し、住職の任免権限を各宗派の管長に委譲した1884年の太政官布達第19号が長らく宗教に関する「根本法」の位置を占めてきた、とも評される。この布達で、人事権など宗門の自治が、宗制・寺法等の官の「認可」を前提に、法的に明記された。最初の包括的な宗教法案が提案されたのは99年、第2次山縣内閣の時で、この「第1次宗教法案」は仏教界が強く反対したことで知られる。

内地雑居に伴うキリスト教の教勢拡大を警戒した仏教界は仏教を「公認教」とするよう主張。これに対し、政府は宗教法案と抱き合わせで僧侶の徴兵一部猶予案を持ち出し、仏教界からの賛成を取り付けようとした。徴兵猶予の餌を蹴ってまで仏教界が反対したのはなぜか。「公認教」の是非だけでなく、政府案が教派宗派の法人化を認めないものであったことに大きな意味がある。そこに「社会集団としての宗教教団の弱体化」(久本幸男)の狙いを読み取るのは妥当だろう。

以後、宗教法制定の試みはいずれも挫折し、ようやく「宗教団体法」が制定公布されたのが1939年である。同法は周知の通り、神社を対象から除外しており、「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」信教の自由を認めた明治憲法の下で、宗教の管理を法的に整備するという課題を完成させたわけである。戦時下の統制色の強い法律だが、宗教団体はすでに国家権力に飼いならされており、反対・異論は起こりようがなかったのであろう。

敗戦後、宗教団体法は治安維持法などと共に廃止され、宗教法人令を経て、1951年4月3日に公布されたのが宗教法人法だ。第1条に記すように、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とする法律で、それに国家の「公認」とかお墨付きの意味はない。

同法の柱である「認証」制度について「厳格化」というようなことが最近しばしば語られる。明治以来の国家の宗教管理を振り返ると、厳格化は一種の先祖返りかもしれない。しかし、国家権力の監督を排して、宗教法人法が制定された意味はよく考えるべきだ。

官による「認証の厳格化」ではなく、宗教者自身が同法の制定趣旨を理解して宗教法人法を自ら守る努力を続ける必要がある。