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バイトテロ問題 正しい怒りを向けるには

2019年3月1日付 中外日報(社説)

コンビニや飲食店で、アルバイト店員が悪ふざけして食品を不衛生に扱い、その姿が動画でインターネット上に拡散する。店の評判は地に落ち、閉店に追い込まれる事例もあると聞く。これをバイトテロという。その店員は当然解雇されるだけでなく、高額な賠償金が請求される場合もある。

テロの原義は恐怖だから、たとえ軽はずみな行為であっても消費者に不快な思いをさせ、店の存亡に関わる重大な事態を引き起こせば、それがバイトテロと呼ばれるのも無理はない。もちろん圧倒的多数のアルバイト店員は真面目に仕事をしているが、中にはそのような形で自己顕示をする者が現れてしまう。一方、低賃金で過酷な仕事に誇りを持てないために、彼らはそうした形でしか自分をアピールできないという見方も成り立つ。

これらの行為が動画で拡散されると、バッシングが一斉に始まる。不届き者の店員が解雇され、賠償金を請求されて当然だという声が澎湃と起こる。これもある意味恐ろしいことだ。しかし、そうしたバイトテロが発生する背後に、非正規雇用が激増して社会全体が貧困化し、人心が不安定になっているという事実があることを忘れてはならない。もしかしたらバイトテロも、アルバイト店員によるそうした社会に対する無意識の怒りの表れもあるかもしれない。だが本来そのような怒りは、日本の政治の在り方に向かうべきものであるはずだろう。

自分の境遇に不満があっても、そうなったのは全て自己責任とされる社会では、国民の間に閉塞感が漂う。多くの人々はこの自己責任が耐え難いので、自分より弱い立場の他者を責める傾向が出てくる。これは無意識の自己防衛でもあるが、精神科医の片田珠美氏は、そのような現代日本の状況を「一億総他責社会」と呼ぶ。

自己責任は、別の言い方をすれば自業自得という言葉になる。これは本来、仏教の用語である。これは人の所業を責め立てる時に使うのではない。自分の現在の姿は自分自身のなせる業として、自らを振り返って反省する時に使う言葉である。これによって本来の意味で人生を諦める(明らめる)ことができる。すなわち、今の自分にできることとできないことを見極めることができるのである。

宗教者の役割は、人々をして自分の人生を明らめるよう導いていくことにある。またそこから、向けるべきところに正しい怒りを向けることも可能になってこよう。これが宗教における世直しの契機となるのである。