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弱者いじめの社会 権力に物を言わねばならぬ

2019年3月8日付 中外日報(社説)

《右翼も、左翼も、根底の姿勢はただ一つ、「弱い者いじめは許さない」これだけ踏み外さなければ本物です。「弱い者いじめは許さん!」と、大声で叫ぶ人々が消滅させられて以後は、強い者が好き勝手をする時代となりました》

五木寛之さん著『杖ことば』でこの文章に出合い、思わず膝を打った。五木さんはさらに《こんな時代には、蓮如のように、「物を言え、言え」と、けしかけるのが真の宗教家というものではないでしょうか》と続けている。

仏法を学ぶ者は尻込みせず自己を語り、批判も受けないと独り善がりになって理解が深まらない。だから蓮如は、寡黙な民衆に「物を言わぬものは恐ろしき」とまで説いたと伝わる。やがて迎えた一揆の時代は一時的で終わり、その後日本人は「物言えば唇寒し秋の風」と周囲をはばかる特有の感性を引きずり、本物の右翼も左翼も霧消したような今の時代である。

日本は「忖度」に腐心し、自分の意見は控えがちな精神風土であるのは否めない。奥ゆかしくはあるが、ストレス社会では弱い者が一方的に攻撃にさらされやすい。人の価値が生産性で測られ、生活保護受給者や原発事故被害者が嫌がらせを受け、在日へのヘイト、セクハラやパワハラ、さらには子どもへの虐待など大人社会のいじめ行為は過酷の度を加えている。最近はコンビニなどの店員に対し土下座を強要するカスハラも現れた。

沖縄県民の総意を安倍政権が一顧だにせず、軟弱地盤で工法的にも困難な辺野古基地の工事をごり押しするのも、孤立する沖縄の立場が弱いからにほかならない。

子どものいじめは大人社会がお手本といわれるが、英国、オランダ、日本3国の小・中学生がいじめを見たときの対応で、日本は高学年になるほど突出して「見て見ぬふりをする」比率が高く、逆に「止めに入る」比率は低くなるという公的機関の調査報告もある。これではいじめは止まらない。

「物を言う」に戻すと、キリスト教に根差す西欧出自のボランタリズムは「異議の申し立て」を含意するという説がある。18世紀の産業革命下の英国で、権力に驕る国教会の司祭らに抗し、自己の信仰に従って救貧に尽くす信徒らが独自につくった集団がボランティアと蔑称されたことに論拠を求めている。ボランティアは本来、権力に物を言うべき存在なのだ。

日本はどうか。仏教が慈悲の宗教である限り、実社会と無縁ではあり得ない。未来社会が今の世代の手中にある以上、仏教界の発信力も問われていかざるを得ない。