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小野流の本山を復興

真言宗善通寺派大本山隨心院門跡 亀谷英央さん(56)

2018年4月13日付 中外日報(ひと)

亀谷英央さん

病のため門跡引退を決めた父・暁英氏(87)の跡を引き継いだ。目指すのは隨心院を東密二流の一つ「小野流」の本山にふさわしい寺院として復興させることだ。

1990年代に元総代の建設会社社長が境内地を担保に金を借りるなど不正常な状態に陥っていた隨心院を立て直すため、98年に暁英氏らと共に入寺した。

「最初はマイナスからのスタートだった」。2000年代半ばまでは元総代や90年代に隨心院門跡を務めた元善通寺派管長への訴訟などで混乱続きの日々を送った。夜中に不審な電話がかかってくるなど、嫌がらせや個人攻撃も受けた。

05年に寺のイメージアップ策としてミス小野小町コンテストを発案し、今では秋の恒例行事として定着した。地元消防団にも参加するなど地域との良好な関係づくりにも努めた。

08年の暁英氏の門跡就任後は執事長、寺務長として父を支えながら、一時悪化した善通寺との関係修復に腐心。その甲斐あって13年に後七日御修法の大阿が暁英氏に回ってきた際に、樫原禅澄・善通寺派管長(当時)が支援を表明し、一気に関係改善が進んだ。

自坊は京都市上京区の福勝寺。ほぼ無給の隨心院に出仕する傍ら、月参りで1カ月に60軒近くの檀家を回る。

小野流を研究する隨流小野講傳所も05年に創設された。「近代以降、泉涌寺派の法流も隨心院流になった。授戒は泉涌寺、加行は善通寺、伝法灌頂は隨心院というふうに役割分担をすれば、両派合わせて300カ寺の小所帯でもキラリと光る存在になれる」

(岩本浩太郎)