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茶道裏千家・前家元 千玄室さん(91)(1/2ページ)

2014年7月9日付 中外日報(ほっとインタビュー)

「和敬清寂」世界に広める

70年前、海軍の特攻隊員だった千玄室・大宗匠。千利休が示した「和敬清寂」のお茶の精神を「一盌からピースフルネスを」との言葉に込め、世界に茶道を通じた平和の心を広めている。

(河合清治)

茶道裏千家・前家元 千玄室さん
1964年に茶道裏千家第15代家元となり、2002年に家元を長男に譲り、現在は大宗匠。文化勲章受章。ユネスコ親善大使、日本・国連親善大使(外務省)。

特攻隊の生き残りだとお聞きしました。

1943年、同志社大の2年の時、文系学生は徴兵猶予取り消しとなり、20歳で徴兵検査を受けました。文系の学生7万人のうち合格したのが6万人弱。そのうち約4万人が陸軍で中国戦線や南方戦線に送られました。海軍は約2万人で、そのうち約3千人が飛行機乗りになり、私もその一人です。

舞鶴海兵団に入隊し、土浦航空隊を経て、44年5月に徳島海軍航空隊に転属。そこで海軍少尉となり、白菊特別攻撃隊に選ばれました。45年5月、沖縄作戦の特攻の最前線基地の鹿児島に向けて仲間がどんどん出て行きました。私は、出る寸前に待機命令が出て松山航空隊への転属となり、生き残りました。

特攻隊には、水戸黄門を演じた俳優の西村晃もいました。出撃の際、仲間から「おい、千、最後にお茶にしてくれや」と言われ、私が点てたお茶を飲み、みんな「お母さーん」と叫んで出て行きました。

この時、本当に思い出しましたね。利休さんが450年前に秀吉の勘気を被って切腹を命ぜられましたが、その時に弟子たちを集めて一盌のお茶を点てて切腹したことを。私は茶人であり、武人だった利休さんの跡を継いでいくのかなと思いました。

西村晃さんとは特別親しかったそうですね。

舞鶴海兵団で初めて出会ってからずっと一緒でした。特攻隊ではペアを組まされ、「一緒に死のう」と約束していたほどです。

彼も生き残り、後に再会して、沖縄の海底に眠ったままの戦友たちの慰霊祭を一緒にした時に、「ああこの戦友たちのために一生、生きていかなければいけない」と思い、利休さんの「和敬清寂」を多くの人に分かってもらおうという思いが強くなりました。