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元高校教師 水谷修さん(58)(1/2ページ)

2014年9月24日付 中外日報(ほっとインタビュー)

子ども救う力、宗教に

非行や引きこもりといった心に闇を抱える多くの子どもたちに手を差し伸べてきた。若い頃からキリスト教や坐禅など宗教に強い関心を持ち、宗教には子どもたちを救う力があると訴え続けている。

(甲田貴之)

水谷
高校教員在職中から子どもたちの非行防止のために「夜回り」と呼ばれる深夜パトロールを続けている。現場での経験をもとにメディアや講演会を通じて子どもたちの問題や命の大切さを訴えている。花園大客員教授。

何らかの信仰をお持ちですか。

僕はカトリック教徒だった。1960~70年代の安保闘争の後、高校の自由化を訴える学生紛争が起こった。その頃、高校生だった僕も弱い者が搾取され、強い者が私腹を肥やす矛盾した世の中に疑問を持って学生運動にのめりこんでいった。平等をうたう社会主義思想は素晴らしいじゃないかと。今でもマルクスの『資本論』は経済学の本としては最高だと思う。ただそれは人間全員が善良という前提があれば。実際の世の中はそんなわけにいかない。

活動の中で挫折を繰り返し、目の前で仲間2人が自殺した。死に対する恐怖を感じて神にすがった。山手教会(横浜市)に良い神父様がいて、仲間の弔いのためにも神の道もいいなと思ってカトリックを信仰するようになった。

でも、そこで壁にぶつかった。もし神が存在するなら、神ほど残酷な存在はない。神は全知全能でこの世をつくったにもかかわらず、なぜ、貧困や争いを生み、不幸な社会をつくったのか。もし僕が神ならば悪をこの世につくろうとは思わない。そうした疑問からカトリックを離れた。

なぜキリスト教に。

教会が多い横浜という土地柄もあって、教会の十字架の輝きや厳かなステンドグラスに魅せられた。ミーハーだったのかもしれない(笑い)。その時、すがろうと思ったのは仏教ではなかった。

仏教に関心を持たれたのは。

上智大に入ってから、同大の門脇佳吉教授が鎌倉・円覚寺で坐禅していたことをきっかけに自分も坐禅をするようになった。ただ、当時の僕にとって坐禅は宗教的な理由ではなく、神経を集中するための一つの方法論だった。