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「納棺夫」の経験から仏教について発言する作家

青木新門さん(77)(1/2ページ)
2014年11月19日付 中外日報(ほっとインタビュー)

仏教こそが人類を救う

名刺には「namo amitaabha」(サンスクリット語で「南無阿弥陀仏」)。中年を過ぎてから仏教書に親しみ、最近では「新門塾」も開いた。その言葉には、いのちへのまなざしと仏教の教えへの期待が、強く込められている。

(佐藤慎太郎)

作家 青木新門さん
葬祭業の現場で働いた経験を『納棺夫日記』として出版。ベストセラーとなる。仏教への思いはあつく、著述(『それからの納棺夫日記』等)や講演会活動などを通じて、その役割を問い続けている。

「納棺夫」はいつまでやっていたんですか。

青木1973年から10年間ほどやっていました。最初数人だった会社も社員500人になり、1993年に地元・富山県の出版社から『納棺夫日記』を出した時は専務になっていましたね。

初版は500部だったのですが、その年に俳優の本木雅弘さんから、写真集に文章を引用したいと連絡があったんです。驚きましたが「どうぞどうぞ」と許可しました。実際、写真集を見てみると、インドのベナレスで撮られたものだったのですが、上半身裸の本木さんが、現地の風習をまねて送り火をしている写真に「蛆も命なんだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」という文章が引用されていました。これは本のサブテーマであり、「若いのに大したもんだ」と思いました。

その後、雑誌の記事で経緯を知ったのですが、本木さんはベナレスでは生と死が当たり前のようにつながっていることにカルチャーショックを受けたそうです。同行していた富山出身のカメラマンが私の本を持っていて、読むうちに映画化したいと考えた、と書いてあったんです。私はすぐに手紙を出し、「私の本は7割以上が宗教のことを書いている。目に見えない世界を映像化するのは難しいし、関係者も取り上げないでしょう。インドで感じたような『生死一如』の目で、あなたが一人で作ってみては」と提案しました。

何年か後に、送られてきた脚本を見た時、ラストシーンなど気に食わない点がたくさんあり、原作から降りて「おくりびと」のタイトルになりました。完成試写会には呼ばれたので見に行きましたが「いい映画になったなぁ」と(笑い)。