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家族の問題に提言を続ける評論家 芹沢俊介さん(72)(1/2ページ)

2015年4月1日付 中外日報(ほっとインタビュー)

薄れる観音信仰、進む個人化

何事も「それは、あなたの責任です」と、突き詰められていく現代社会。人と人との結び付きが希薄化する中で、改めて仏典から得られるヒントを探る。

(萩原典吉)

評論家 芹沢俊介さん
1942年、東京生まれ。主に家族をテーマに批評を書き続ける。1998年から養育論の構築を目指した「養育を考える会」を仲間と共に始める。隔月で開かれ、誰もが参加できる話し合いの場として続いている。『家族という意志』(岩波新書)など著書多数。

2015年の家族の現在をどのように見ておられますか。

芹沢拙著の『家族という意志』でも強調したことですが、「個人化」の状況が極めてラディカルに進行しており、問題が相当深刻になってきたように思います。

5年前、高齢者の不在問題が表面化しました。80歳代の自分の母親がどこに行ったか分からず、その行方に関心さえ払わないというのは、ゾッとしますね。でも、それが特異なことかというと、多かれ少なかれ、どこの家族でも起こり得ることだと思います。

これは家族内で葛藤があって所在不明になったのではなく、家族の内側がバラバラになり、それぞれの最大の関心事が自分になっている中で生まれた現象です。

だから、親ばかりでなく、産んだ子どもにも無関心になっていく。それを母性の崩壊だと言って、母親本人の責任のように考えられがちですが、そうではなくて、社会でも家族でも進んでいる個人化が母性を崩壊させていく。そういう流れではないかと思います。それらを善悪の問題として道徳的に捉えない方がいい。

同時に、個人化の現象によって、全てが自己責任とされてしまう。自分が背負った問題を、誰かに預けることができない。自殺はその一つの表れでしょう。

個人化の進行と相まって、観音信仰の希薄化が進んでいるとも、ご指摘のようですが。

芹沢僕のような素人が観音信仰を語るのは、ためらいがあるんですが、かつて庶民の間にあった観音信仰を、母性への期待と読み替えると、興味深い問題が見えてくるように思います。

観音菩薩は、母性そのものです。そして母性の基本は無条件の受け止めです。では今はどうかというと、個人化の時代であるが故に、明らかに人を無条件で受け止める力は衰弱の一途をたどっている。虐待やお年寄りの所在不明は、その紛れもない証拠といえるでしょう。それは取りも直さず、観音信仰の衰えを示しているとも思えるのです。