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トップ> ほっとインタビューリスト> 大藏流狂言方 茂山千五郎さん

お豆腐主義のたすきをつなぐ能楽師大藏流狂言方

十三世 茂山千五郎さん(70)(1/2ページ)
2015年9月16日付 中外日報(ほっとインタビュー)

比叡の僧・玄恵法印が祖

400年にわたり京都に息づく茂山千五郎家。十三代目当主は、伝統を「伝え」、そして「守る」ため、時代に即応した狂言の在り方を探究し続けている。

(杲恵順)

十三世 茂山千五郎さん

1945年生まれ。本名・正義。四世千作の長男。49年に「以呂波」で初舞台を踏む。94年に十三世千五郎を襲名。2008年、京都市文化功労者、文化庁芸術祭賞大賞を受ける。数々の新作狂言に取り組み、ダイナミックでユーモラス、かつ繊細な芸に定評がある。

狂言と宗教のつながりは深いのでしょうか。

茂山そうですね。狂言は奈良時代に日本に入ってきて、神仏に奉納されていた中国の寄席芸「散楽」がルーツです。そして、私の家が属している「大藏流」は、比叡山の僧侶・玄恵法印が祖といわれています。師が仏教の教えを分かりやすく里人に伝えるため、笑いを交えて説法したのが始まりで、それが発展して狂言になっていったようです。ですから、古い時代の狂言には僧侶が多く登場します。

しかし、狂言は生活の中の失敗談や夫婦げんかなどを主な題材とした「風刺」ですので、お寺さんに対してもあまり良いことは言いません(笑い)。

例えば、浄土僧と法華僧との論争を題材にした「宗論」という曲では、両者は正反対のキャラクターに描かれています。法華僧は強情な直情者。浄土僧は理屈っぽい分別者。互いの言うことはまったく聞きませんが、自分の主張だけをする点は共通しています。泊まった宿で宗論を始めるのですが、法華僧は「五十展転随喜の功徳」、浄土僧は「一念弥陀仏即滅無量罪」を、まったくデタラメに解釈しています。「自己主張が強く偉そうにしている人間ほど、実はものを知らない、いいかげんな人間」ということを表しているのでしょう。

宗教とのつながりで言えば、能舞台の鏡板には春日大社の「影向の松」が描かれています。諸説ありますが、「いつでも神様の前で舞台を務めていることを忘れてはならない」という思想から描かれるようになったといわれています。

信仰心の表れというより、むしろ自分たちへの戒めの念の方が強いのではないでしょうか。現在は能舞台以外での公演も増えましたが、その自戒の念を胸に、日々の舞台を務めています。