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市民の立場から核兵器廃絶を訴え続ける元広島市長

平岡敬さん(87)(1/2ページ)
2015年10月21日付 中外日報(ほっとインタビュー)

欲望の制御が平和もたらす

今年の広島市長の8・6平和宣言には安保法制に関する具体的言及が無く、「日本が岐路にある時、広島市からの発言が無かったのは残念」と指摘する。

(萩原典吉)

元広島市長 平岡敬さん
1927年生まれ。広島県出身。中国新聞社の編集局長、中国放送社長などを経て、91年から広島市長を2期8年務め、原爆ドームの世界遺産登録、海外での原爆展開催、広島市立大・広島平和研究所設立などに尽くした。今年も自ら関わるカンボジアの「ひろしまハウス」を訪問予定で、精力的に活躍中。

被爆から70年が過ぎても、被爆者は苦しんでいます。

平岡僕は今、「被爆者は、核兵器に殺され続けている」と言っています。「死没者」「犠牲者」という言葉では、真相が隠されると思う。それを教えてくれたのは、こうの史代さんの漫画『夕凪の街 桜の国』(2004年刊)です。主人公が被爆から10年後、死を直前に「原爆を落とした人はわたしを見て『やった!またひとり殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」とつぶやく。「殺されている」という認識を、僕らは忘れていたんじゃないか。

宗教者の中には、まず許せ、全てが許しから始まる、という人がいます。でも許してしまったら、核兵器はなくならない。

人間にとって、宗教が持つ意味をどう考えますか。

平岡人間は弱い存在だから、個人が心の平安を保つときに宗教が必要になる。それはそれで役割を果たしていると思う。

では、核兵器廃絶を考えるときはどうか。人を皆殺しにするのは、仏教の立場から考えても許されないでしょう。命あるものを阻害するものに対しては、心の持ちようではなく、阻害している環境を無くしていくことが必要ではないでしょうか。

人間は全知全能ではなく、欠陥だらけの存在です。にもかかわらず、原爆も、原発も、遺伝子操作も手に入れてしまった。それは知の領域に属する事柄ですが、それを動かすのは人間の欲望ですよね。

人間の欲には、プラス面とマイナス面とがある。欲は生きるエネルギーにもなるし、一方で科学的真理もゆがめてしまう。欲望をコントロールできない限り、なかなか本当の平和は来ない気がする。もしコントロールできるとすれば宗教的なものが、その欲を抑えていくということでしょうか。