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トップ> ほっとインタビューリスト> 北海道大大学院准教授 中島岳志さん

「リベラル保守」の視点から政治・社会を問う 中島岳志さん(40)(1/2ページ)

2015年11月4日付 中外日報(ほっとインタビュー)

「宗教とは何か」 研究の起点

新進気鋭の論客としてメディアでも活躍する。ヒンドゥー・ナショナリズムの調査研究、大川周明ら戦前の右翼運動、近代政治思想史から現代の様々な政治・社会問題まで、「リベラル保守」という視点から分析するが、研究者としての出発点には「宗教とは何か」という問いがある、と振り返る。

(津村恵史)

政治・社会を問う 中島岳志さん

1975年、大阪府生まれ。大阪外国語大ヒンディー語学科卒。京都大大学院「アジア・アフリカ地域研究」研究科博士課程後期課程修了。博士(地域研究)。2005年、『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞。『ナショナリズムと宗教』『血盟団事件』など著書は多数。北海道大大学院法学研究科准教授。

宗教とナショナリズムが大きな研究テーマの一つですね。

中島私の研究の起点は阪神・淡路大震災の年です。当時、20歳の大学生で、大阪の実家にいて激しい揺れに目を覚ましました。数日後、テレビ中継で、神戸・長田の倒壊した家のがれきから何かを捜すおばあさんの姿が映された。何を捜しているのですというリポーターの質問に戸惑い、同時に「なんで当たり前のことを聞くのか」という怒りも込めて「位牌です」と答えたおばあさんの表情に、心が激しく動揺しました。歎異抄を読んでみようと思ったのはそれがきっかけです。

歎異抄を読み始めて間もなく地下鉄サリン事件が起きた。オウムには何の共感もなく、事件には激しい怒りを感じましたが、「宗教は危ない」という世間の単純な反応にも違和感がありました。戦後、社会が当たり前のこととしてきた「物語」は震災とオウムで崩れた。過去半世紀、公共圏で宗教を無視し続け、その結果、日本人の多くは宗教が分からなくなってしまったのではないか。宗教とは何かという問いに、自分自身で決着をつけたい、という気持ちが高まってきた。

ちょうどこの年、戦後50年の村山談話が発表され、右派が「自虐史観」と激しく批判を展開していた。しかし、彼らが掲げる「愛国心」の主張にも違和感を抱いた。彼らは保守思想に依拠しているのではなく、単なるアンチ左翼じゃないかとも感じました。保守論壇の実態に絶望し、改めて、自分なりに具体的な政治状況の中でナショナリズムや宗教を考えてみようと考えたんです。

「リベラル保守」を標榜しておられるが……。

中島保守はリベラリズムと強い親和性がある。これは人間観の問題で、人間の不完全さ、限界を強く意識するからです。この立場はリベラリズムと矛盾しません。保守は「自分は絶対に正しい」とはいえないんですね。自分も間違っているかもしれない。だから社会の多様性を受け入れ、立場を異にする他者にも寛容です。