ニュース画像
札所山主の総出仕のもと、十一面観音の宝前に表白を捧げる田代化主(中央奥)、徳道上人の御影を前にした鷲尾会長(左)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

「言葉」が宗教で果たす役割を強調する社会派作家

髙村薫さん(62)(1/2ページ)
2015年12月2日付 中外日報(ほっとインタビュー)

ゼロから始めた空海探究

この秋、新聞連載ルポをまとめた『空海』を出版。圧倒的な存在感を放つ宗教者の足跡をたどった。

(丹治隆宏)

社会派作家 髙村薫さん

1953年、大阪市生まれ。国際基督教大卒業。90年にデビュー作『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞を、93年には『マークスの山』で直木賞を受賞した。政治や原発問題についても積極的に発言してきた。

『空海』では、人物の実像から今に至る信仰まで、網羅的に捉えましたね。最初から、こういう構想を。

髙村依頼があった時は「何で、私が空海なんですか」と逆にお尋ねしたくらいです。「お大師さん」「弘法大師」と皆さんが親しみを持っているほど、私には関心はなかった。密教にしても、非常に遠い存在でした。そこで改めて「空海はどんな人?」と、ゼロから始めることになったんです。

調べていくうちに、なぜ1200年前に生きていた人が21世紀の今、みんなが手を合わせる「お大師さん」になっているのか、という謎が生まれ、それを追っていきました。だから、網羅的になったのだと思います。

明星が体に飛び込んできたという空海の神秘体験を言い表す「谷響を惜しまず、明星来影す」に着目したのは、なぜですか。

髙村空海の長い修行は、まさに世界と自分が不二、一つになるという神秘体験を求めてのことです。だとすれば、この言葉に注目するのは、自明のことだと思います。

宗教は言葉で体系をつくってきました。身体体験との間には、断絶がありますね。

髙村そこを行き来するのが、宗教者だと思うんです。身体体験をした本人が、自らの体験の宗教的意味を理解するために、言葉が必要なのです。

直接体験は、本来言葉にならない。だけど、それをぎりぎりまで言葉にする努力が必要だと思います。

空海もぎりぎりまで努力するけれども、最後は言葉にならない。だから「跳躍」するんですね。

一方で、オウム真理教はそれをしなかった。言葉による検証を飛ばしたんです。オウムは、ヨガから出発しているでしょ。私もこれ(『空海』)を書いて密教を勉強し始めた時に、まさにオウムは密教の鬼っ子というか、ほんとに差がないなと思ってしまった。だから、余計に言葉にしていくことの大切さに改めて気付かされました。