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日本文化見直しを呼び掛ける将軍の子孫 德川恒孝さん(75)

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2015年12月16日付 中外日報(ほっとインタビュー)

家康の時から浄土信仰

家康から続く德川宗家の第18代。会社員をしていた時も毎年東照宮の例大祭参拝は欠かさなかった。日本人が培ってきた伝統を大切に伝えていくべきだと訴える。

(有吉英治)

将軍の子孫 德川恒孝さん

1940年、会津松平家の一門に生まれる。63年、祖父の17代当主・家正の死去に伴い、家督を継ぐ。学習院大卒。元日本郵船副社長。江戸幕府開府400周年の2003年に「德川記念財団」を設立し、理事長に就任。著書に『江戸の遺伝子』など。

德川家の信仰は。

德川浄土宗です。家康公がまだ今川家の武将だった頃、桶狭間の戦いで織田信長に攻め込まれ、今川義元が亡くなりました。義元に心酔していた家康公は自殺まで考えたのですが、愛知県岡崎市の大樹寺の登誉上人に活を入れられたんです。民に平和をもたらさねばならないと諭され、死を思いとどまりました。

頂いた「厭離穢土、欣求浄土」という言葉を旗印にして、旗印というのはたいがい勇ましいものですが、そんな抹香臭い旗印で一生戦い続けるほど熱心な浄土宗の信徒でした。それで東京では大本山増上寺、京都では総本山知恩院という大きな寺院の伽藍を建てたりしたわけです。

後に天海僧正と出会って天台宗が加わり、亡くなってから寛永寺が建てられました。そして家康公自身は神様になって東照宮に祀られている。

個人としては何を信仰していますか。

德川私が生まれた会津松平の家では、南無妙法蓮華経だったんですよ。よくは分かりませんが、祖母の信子が鍋島家から来た人で、その頃からだったようです。仏壇の前では題目を唱えるものと思っていましたから、宗家に入って南無阿弥陀仏と唱えるのを聞いた時は、おやと思いました。中3くらいのことで、さほど気にも留めませんでしたね。

私自身は信仰らしい信仰というのはないのですが、日光と久能山の東照宮、増上寺や寛永寺には、大祭や法要などがあるたびに参ります。

明治以降は寛永寺に歴代のお墓を定めましたので、16、17代はそこに入っています。私もその墓に入ることが決まっているので、安心しています(笑い)。