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「笑顔こそ噺家冥利」と語る落語家 三遊亭好楽さん(69)

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2016年4月6日付 中外日報(ほっとインタビュー)

お寺を積極的に開放して

お寺で落語を口演する好楽さん
お寺で落語を口演する好楽さん

落語にはお寺や僧侶が出てくる話が多いですね。

好楽「小言幸兵衛」で覚えた「光明真言」は墓参りの時に重宝してるよ。ほかにも「蒟蒻問答」「お見立て」「黄金餅」などたくさんあるけど、大抵の場合、お坊さんにはいいところがない(笑い)。不謹慎さを笑い飛ばすところに落語の面白さがあって、かつてはお寺がそれだけ人々に身近だったからこそ、ブラックな笑いに変えられたんじゃないかなあ。

私は、お盆にお坊さんがスクーターでお参りに来てくれるような環境で育ったけど、そういった人と人との密接な付き合いや伝統の積み重ねが落語全体を形作っているんだと思う。お寺からお坊さんが来ない、自分たちもお寺に行かない、なんて時代が「落語は分かりにくい」と言われるようになった遠因なのかもしれないね。

こんな小噺があるよ。「手と足がけんかした。手が『俺の方が偉い。神仏を拝むときだって手で拝むんだ』と言うと、足が『そんなに威張るんだったなら今度お前に風呂場で洗わせてやる!』」。人間は一人じゃ生きていけないということを教えてくれる典型的な話で、どっちが偉いじゃなくて平等なんだってこと。アレンジも利きそうだし、お説教に使ってもらってもいいですよ(笑い)。

それほどお寺が好きでも、やはり不満もあるのでは。

好楽どうしても言いたいのは、お寺を積極的に開放してほしいってこと。名刹といわれるようなお寺ほど門を閉めずに、写真を撮ったり、子どもたちが行って遊んだり、ぶらりと訪ねられるようにね。「江戸時代の偉い俳人とか落語家がここの墓にいるんだよ」といったことを子どもたちに伝えるのは、人を敬うことの大切さを教えることにもなる。人手不足で手が回らないとか言われちゃいそうだけど、そういった閉鎖的なところはぜひ改めてほしいよね。

そもそもどうして落語家になろうと考えたのですか。

好楽私は8人兄弟なんだけど一家の大黒柱の親父が急死して、母親が女手一つで育ててくれたんです。苦労して毎日働いて、やっと子どもを寝かしつけた後に、ラジオの落語を聞いて笑っているんです。いつも厳しく怖かった母親のその姿を見てうれしくなって、「世の中には落語っていうすごいものがあるんだ」と、ハマっちゃいました。

つまりね、人間にとって「笑い」ってのは平和そのものなの。「笑う門には福来る」とも言うでしょ。そりゃあ人生苦しかったりつらかったりと、毎日が楽しいことばかりじゃないかもしれないけど、例えば仕事の後にビアホールで笑い合って憂さを晴らしたりするようなゆとりがあれば、それだけで人間は救われるんですよ。

渋い語り口にほれ込んで林家正蔵(先代)師匠に弟子入りしたんだけど、実は稽古は厳しくなかった。落語は勝手に覚えろって感じで、それよりももっと大事なことがあるだろ、と。マナーとか着物の畳み方、お茶の出し方、そういった精神的な心掛けの方を重視してましたね。

でも師匠からは「お前はもう破門だ」って23回も(笑い)。落語界一ということになってる。お酒を飲んでは遅刻や忘れ物と失敗ばかりで、それでも許してくれたのは、師匠が私のことを自分の早くに亡くなった息子に重ねていて、何をやっても「しょうがねえなぁ」って、育てようとしてくれたんでしょうね。

師匠には感謝してもしきれないのでは。

好楽命日じゃなくとも師匠の墓の近くに行くと気が付いたらぶらっと足が向いてしまうんです。線香を買って花を供えてね、「相変わらずばかなことやってますが、師匠が教えてくれた落語やってます」って手を合わせる。

正蔵、三遊亭圓楽(先代)の二人の師匠に、いつもかわいがってくれた兄弟子の春風亭柳朝、カミさんの実家に自分ところの家入家の墓と、5カ所を家族や弟子たちみんなでいっぺんにお参りして回ることもあるよ。みんな宗派が違うから、じゃあここのお寺はって、浄土宗や浄土真宗なら「南無阿弥陀仏」、法華なら「南無妙法蓮華経」、真言宗なら「南無大師遍照金剛」あるいは「光明真言」を唱えて拝む。別に墓参りが大好きなわけじゃなく、当たり前のことをやっているという感覚なの。

今の親たちはお墓参りをしたことがない人たちもいるけど、それは子どもに対して良くない。亡くなったらお墓参りはするんだ、お通夜は皆さん泣いているけどこうしてお別れするんだ、お坊さんがお経読むんだって、教えないんだよ、今の親は。だから子どもが親をばかにしたりする。それが今の時代を物語っているじゃないですか。親を敬う、先祖を敬うっていう、そういう気持ちを口で言わなくたって態度で見せなきゃ。ウチでは必ず子どもや孫を、お世話になった人や親戚の葬式に連れて行って、皆さんが泣いているのを見せている。人が亡くなるとこんなに悲しいのかというのも、実際にその場にいれば分かるでしょ。

落語界で身に付いた心構えは一般社会でも通用しますね。

好楽師匠の家に「小心居」って貼ってあって、不思議に思って教えてもらったところ「小さんの心で居たい」って意味なんだそうですよ。この小さんは夏目漱石も聞いて感動したという名人・三代目柳家小さんのこと。その言葉に「芸人は金を貯めるな残せ」っていうのがある。お金を貯めようとする気でいると、何かとお金がかかる人付き合いを減らそうとする。人様に対して堂々とできないから顔の相も悪くなって、卑しい考えになってしまう。これじゃダメ。100万円稼いで80万円を付き合いに使ってもまだ残るくらい、仕事に励んでゆとりを持てってこと。これは落語家だけでなく人間全体に言えることだね。

電車の中でもね(優先席には)お年寄りや妊婦さんの絵があるでしょ。あんなものはかえって失礼で、やるなら全車両でやらないと。若い人は座る必要ない。やるべき人がやる、やらなくていい人はやらない、っていうのを教えなくともできるようにならなきゃ。よく漫談で喋るんだけど、「電車が駅に着くとドアが開いた途端に、降りる人が乗る人でごちゃごちゃになるのはおかしいって、友達の泥棒に愚痴ったらね、怒ってましたよ。『俺たちじゃあ考えられない。人がちゃんと出てから入る』」ってね(笑い)。マナーが崩れているのは困りもんです。

落語家は人を笑わせてこそですが、人間が生きていく上でやはり笑いは不可欠ですよね。

好楽東日本大震災が起こった年の5月に初めて被災地に慰問に行ったんだけど、皆さん悲しい別れを経験し、どうしていいか分からない、心が痛んでいるんです。笑顔は全然なかった。サインが欲しいってご老人がいたんだけど、どうやら亡くなった孫宛てに書いてほしいと。書いた後、カミさんと一緒に隅で泣いちゃいましたよ。

落語家がやれることなんて、たかが知れていると思ってました。被災地の現状を各地の落語会で話したり、募金への協力をお願いしたり、そういう事しかできない。それでも震災から1年くらいたって宮城県女川町で落語をやったんです。そしたらおばあちゃんが「楽しかった。そういえば笑ってなかった。笑わせてもらってありがとう」って、わんわん泣いているんです。あんまりうれしいと人間は逆に泣くんですね。ああそうか、こんな私でも少しはお役に立てた、心をほぐせたんだ、落語家やっててよかったなと。今でもあの笑顔は忘れられないですよ。