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悪縁切ります…歌舞伎町「駆け込み寺」の代表 玄秀盛さん(60)(2/2ページ)

2017年1月11日付 中外日報(ほっとインタビュー)

たった一人、手を差し伸べて

有志の勉強会で、一人を救うことの大切さを訴える玄秀盛さん
有志の勉強会で、一人を救うことの大切さを訴える玄秀盛さん

親元を離れてからは、どのようなことを?

20歳になったら何でもできると思った。中卒の韓国人で、住所不定の俺が、土建(会社)で財を成した。1日100円でも稼ぐと決めて。だから例えば、金を返せへん夫婦を飯場に放り込んで働かせたこともあったし、結果的に一家離散にさせたこともあった。まさに鬼や。でも約束を破ったのはそもそも相手やから。人を蹴落としてでも金もうけする。宗教心はない。それしか生きる道が当時はなかった。だからいつもヤクザ(暴力団)ともめて。金出せと言われても絶対出さなかった。俺にとって金は命だったから。だから拉致されて海や山の中に捨てられたり、毒を盛られたりすることもあった。必ず百倍返しにしたけど。一般の人とは喧嘩せえへん。

天台宗比叡山北嶺大行満の酒井雄哉阿闍梨を師匠と仰いでいるようですが。

1989年10月、知り合いの造り酒屋のおかみさんが阿闍梨さんの所に行く言うからゴールドのキャデラックで送って行った。「坊主丸もうけ」というぐらいやから、坊主ってよっぽどもうかるねんなと、その程度の気持ち。阿闍梨さんは作務衣で「なんや、普通のおっちゃんや」と思った。そこに最澄と伝教大師の額があって、「どっちが偉いの」って聞いたら、にこっと笑っただけだったから「なんだ、答えられへんから、このおっさんも大したことないわ」と。後で一緒の人だと分かんねんけど(笑い)。

境内を回って不動明王を初めて見たんや。10体にそれぞれの顔があって、ずっと見入っていた。ただの木彫りやのに何か引かれて。そんで毎週見に行った。半年たったら、お付きの人に得度を勧められた。「おまえは何か良いものを持ってるけど、段平(刀)をいつも出しとったらあかん。鞘に収めろよ。阿闍梨さんが気にしてた」と。俺はいつも段平を抜いて、誰にでも突っ掛かってた。得度は孫悟空の頭の輪っかのようなもん。俺と阿闍梨さんの関係は、孫悟空と三蔵法師みたいなもんや。阿闍梨さんのDNAを打ち込まれたよな。

駆け込み寺を始めた経緯は?

以前は鬼畜のような生き方。確かに銭ゲバ、守銭奴やった。2000年にやった血液検査でウイルス感染していることが分かり、生き直しをしたわけ。自分がマイノリティーだったということもあるが、生きた証しを残そうと。病気になって気付いた天命、啓示や。阿闍梨さんとの出会いや阪神・淡路大震災との遭遇とか、いろんな経験や出会いがあり、自然に駆け込み寺にエネルギーが向いた。それまでの45年の経験全てが修行で、それがあったから相談者に同化できるし、悩みも分かるし、対処法も分かると思う。

どのような人が相談に来ますか。

嫁姑の問題、金銭、ドメスティックバイオレンス(DV)、子供の進学、息子がヤクザに入った、水商売や歓楽街の話も多い。ありとあらゆる問題が舞い込んでくる。「玄さんだったら止められるだろう」と。今は年中無休でボランティアのスタッフ10人。14年間で4万人は相談に乗った。答えは相手が知っているから。俺らが答えを見つけよう思わなくても、相手から引き出せれば良い。

14年4月には再チャレンジ支援機構を立ち上げたようですね。

100人を一気には助けられへんけど、たった一人やったら全力で助けられる。そして、もう少し進化させて出所者を対象とした再チャレンジ支援機構をつくった。つまり加害者対応。それまで被害者ばかり救ってたけど。例えばDVの場合、女性は助かったけど、相手の男性が友人、親族、親兄弟にがんがんいくから、被害者が増える。だから相手の男性を呼んで、「仕事どうしてんねん」などと聞くと、「嫁さん探すの必死で、仕事どころじゃない」とか。まずは男性をどうにかしてやらんと。職や住まいの面倒見て、「おまえとこの子は別れざるを得ないけど、おまえも学習しろ。ちゃんと仕事して、もし次、彼女できたら絶対暴力振るわず大事にしろ。次のためにおまえも頑張れ、おまえが加害者になったらあかん」と言い聞かす。

加害者1人が「生き直し」したら俺の計算では被害者は3人なくなる。被害者と親族、そして加害者という被害者。それで再チャレンジ支援機構をつくった。出所者が働ける居酒屋も2カ所作った。前科10犯でも、指がなくても大丈夫や。どんな人間でも面倒見る。

日本は再チャレンジしにくい社会?

罪を償ってきたんやから、それを認めなあかん。もういっぺんチャンスを与えないと。それをいつまでもレッテル貼って、前科者、前科者と言ったら、また悪いことしろ、と言ってるのと一緒やん。世の中、そういう偏見、差別がまだある。日本は再チャレンジしにくい。第一、ほとんどの企業が新卒以外は採用せえへん。日本は一発勝負。まして脱落や脱線した人にチャンスはあらへんもん。おかしな話やんか。

特に寺院の参加や協力に期待しているようですが。

お寺が潜在的なものを持ってんねん。例えばNPO法人なんかはっきり言って心がない。第一、場所や家賃がかかる。仕方がないのは分かるけど、無料にはできない。まず助けることが先なのに、前払いを要求するというのも結構あって。要するに手数料みたいなのを取って弁護士につなげるとか、本当の救済活動になってない。成功報酬もらったら終わりやねん。商いじゃないんやから。その点、お寺は家賃がかからない。まずそこに場がある。これが強いねん。場があれば人が集まれる。

賛同してくれる寺がまだ少ないけど、諦めずにあっちこっちの宗教家に声を掛けてる。本来、求道者でもある僧侶が何をすべきか。たった一人の人間に手を差し伸べてほしいわけや。今の時代こそ、仏教者、宗教者が立たなあかんやろ。でないと、さんざん葬式仏教言われている時代にまだ、死人しか相手にできないのかと。死人か、観光か、駅前で駐車場かっちゅうやつや。これ言ったら反感食らうけど、何のために宗教家って名乗ってんねん、何のために袈裟かけてんねん。

でも実際に行うのは難しいのでは?

だから俺が教えるし、インターネットもあるし、まずは声を掛けてくれたら話しに行く。どの程度無理なくできるか。ネットワークをつくれるやん。(新宿の)うちに駆け込んでこなくても、九州やったら、この寺に駆け込んでええでと。「ここに来れる!」ということが大切。助けることが先やんか。

みんな頭で考えてしまう。「いっぱい人が来る、ややこしい、怖い」。要するに食わず嫌いやねん。本当にやったらどうってことないねん。今は行政や法的なもの、いろんな支援がある。全然苦にならない。

それに、みんな自分たちだけでやろうとするから大変に思うんや。「ここに場があるよ」と言ったら、ボランティアも現れるんや。地域には社協でも保護司でもいっぱいおるけど、そんなことは計画段階では出てけえへんよ。ただし本気でやらなあかん。そうすることで温もりがどんどん育つねん。人の熱が温もって熱伝導を起こすんや。ええことするって、エネルギー要んねん。悪い事するのはほっといても悪さすんねん、人間。お寺の扉開けたら困っている人がおるんやから、ちょっとそこに手を差し伸べてほしいねん。