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「人間が全て」と力説する写真家 細江英公さん(83)(1/2ページ)

2017年3月8日付 中外日報(ほっとインタビュー)

神が作ってくれた瞬間

戦後の少年時代から、長年にわたって写真の奥深さを追求してきた。カメラは、無限に変化する被写体の、ある瞬間を切り取る。そこには技術を超えた人間の精神性があらわになるという。ファインダーをのぞくその眼光は、老いてなお鋭い。

(佐藤慎太郎)

写真家 細江英公さん
1933年、山形県生まれ。清里フォトアートミュージアム(K・MoPA)館長。写真集に三島由紀夫を被写体とした『薔薇刑』や土方巽の『鎌鼬』など。英国王立写真協会特別勲章、旭日小綬章などを受章している。

長い写真家人生の中で、一番印象に残っている写真や被写体について教えてください。

細江それはアメリカ人の少女を撮った「ポーディちゃん」という作品で、写真家になるきっかけとなりました。

父親が神社の管理をしていて僕は「お宮の子」だったのですが、「武運長久」と勇ましかった戦前と比べ、戦後は手のひらを返すように収入がなくなってしまった。そのため写真館をしていた知り合いから機材を譲ってもらって、父親は七五三の写真などを撮り始めたんです。当時はまさに激動の時代で、皆が生きるか死ぬかで一生懸命、エネルギッシュでしたね。その手伝いをするうちに、写真にのめり込んでいきました。

そんな中、在留米軍の家族宿舎「グラントハイツ」(東京都練馬区)というのがあって、英語の勉強がてら、カメラを持って出入りしていました。芝生で遊んでいた一人の子どもが僕の据えていた箱型のカメラを、頬に小さな手を当てながらじーっと見ていた。それがレンズの真ん中と上手に「ピタッ」と合った瞬間、シャッターボタンが押せました。神様が出会いの瞬間を作ってくれたのだと今でも思っています。そうでなければあんなにうまく撮れるわけがない。本当にその一枚だけで、同じフィルムの前後の写真は光が入って全然駄目でした。

その写真が1951年の「富士フォトコンテスト」の学生の部で最高賞を受賞しまして。高校生だったのに賞金を5万円(現在の約40万円)ももらって、うれしくて気が狂いそうでした。

即物的かもしれないですが、これで「写真は面白いばかりか、金になる」と思い、東京写真短期大(現東京工芸大)への進学を決めました。