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明るく障害を乗り越える元外交官 オスマン・サンコンさん(68)(1/2ページ)

2017年5月10日付 中外日報(ほっとインタビュー)

ギャグで人種の壁取り払う

来日して40年以上がたつ。生まれ故郷ギニアのことをもっと知ってもらおうと、テレビ出演や講演活動に精を出す。「笑っていいとも」など多くのバラエティー番組に出演し、あふれる笑顔はおなじみになった。

テレビで映されることはあまりないが、右足に障害がある。高校生の時に大好きなサッカーで負傷、医療技術の未熟さもあって足首から先が曲がったままになった。だが「そこから前向きな生き方が始まった」という。イスラム教を信じ、先祖や目に見えないものを大事にする。

(有吉英治)

明るく障害を乗り越える元外交官 オスマン・サンコンさん
オスマン・サンコン氏=1949年、ギニア共和国ボケ州ボッファ県生まれ。69年にコナクリ大から仏国ソルボンヌ大へ国費留学。外務省に入省し、72年に初来日。79年まで駐日大使館に勤務。いったん帰国し84年、外務省を休職し再来日。ギニア日本交流協会顧問。

旭日双光章の受章、おめでとうございます。

サンコン1972年に初めて来日してから45年。本当にたくさんの人にお世話になりました。日本が大好きなんですよ。日本に感謝。

大使館をつくるために日本に来られた。

サンコンその頃日本にアフリカの大使館は六つしかなかったの。アフリカには50も国があるのに。当時のセク・トゥーレ大統領が、日本の農業などのノウハウ、科学技術は将来必ず重要になる、だから大使館を置いておいた方がいいと。

それで大使と二人で羽田に降りたんだけど、日本語全くゼロ、日本の知識何にもない。ギニアはフランスの植民地で、独立したばっかり。もう訳分からんまま。気候は合わない、料理も合わない。今考えたらよく来たなと(笑い)。

外務省の車が迎えに来て、ホテルに案内してもらったの。日本がこんなに発展していると思わなかった。ビルばっかりで。それで羽田から僕は生まれて初めて高速道路に乗った。高速道路ってビルの4階ぐらいを走ってる。驚いたね。

ギニアは今人口1200万人だけど、僕が初めて日本語を覚えた。それと初めて日本人の女性と結婚した。