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大島渚監督を妻として支え続けた女優 小山明子さん(82)

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2017年5月24日付 中外日報(ほっとインタビュー)

「手放す心」で苦難乗り越え

映画監督の夫・大島渚さんが1996年にロンドンで脳出血で倒れて以来、女優を休業して介護に専念。先行きの不安や慣れない生活にうつ病を患い、自分の病気とも闘いながら献身的な介護を続けた。後遺症は残ったが復帰した大島監督は、映画「御法度」を制作。カンヌ映画祭で高い評価を受け、平穏な日々が訪れると思った矢先、再び病に倒れてしまう。2013年に監督を看取り、現在は講演活動で介護から学んだ「今を一生懸命に生きる」ことを説き、終活も実践している。

(河合清治)

大島渚監督を妻として支え続けた女優 小山明子さん
こやま・あきこさん=1935年、千葉県生まれ。大谷学園在学中、松竹入社。55年に映画「ママ横をむいてて」に主演し、映画デビュー。60年に当時、松竹の映画監督だった大島渚さんと結婚。翌年に松竹を退社し、フリーに。映画、舞台、テレビで活躍。現在は、介護体験を語る講演活動等を行う。

17年間の介護を振り返ってみていかがですか。

小山「介護に悔い無し」というのが、今の私の思いです。全てを失ったどん底の中で、私が一人の妻として大島の介護に専念することができたのは、偶然、新聞広告で見つけた一冊の本のおかげでした。

ドイツの哲学者で神父のアルフォンス・デーケンさんの『よく生き よく笑い よき死と出会う』という本で、その中に出てくる「手放す心」という言葉が私の心に大きく響きました。

「過去にとらわれるのはもうやめ、映画監督でも女優でもない。ただ一人の人間として、身体の不自由な夫を支え生きていこう。女優はいくらでも代わりがいるが、大島の妻は私一人だけ」と思えるようになりました。

そうすると、これまで見えなかったいろんなことに気付き、感謝の気持ちが込み上げてきました。

終活を始められたきっかけは。

小山17年間は大島のために生きてきましたが、未亡人になれば、皆さん同じですが「今度は、一人でどう生きるか」です。その時、自分が生きてきた証しを残したいと思うようになりました。

近々、孫の一人と北海道へ3泊4日の旅に出る予定にしています。25歳の社会人から5歳の幼稚園児まで5人の孫がいますが、「孫に、どういうおばあちゃんだったかという私の思い出をつくりたい、記憶を残してもらいたい」と願っています。

介護生活が長かったため、家で子どもや孫たちと誕生会等はしていましたが、家を出て旅行はできませんでしたから。