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トップ> ほっとインタビューリスト> 大島渚監督を妻として支え続けた女優 小山明子さん

大島渚監督を妻として支え続けた女優 小山明子さん(82)

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2017年5月24日付 中外日報(ほっとインタビュー)

一人の人間として身体の不自由な夫・大島渚監督を支え続けた小山明子さん
一人の人間として身体の不自由な夫・大島渚監督を支え続けた小山明子さん

終活といっても、遺産相続やお墓のことではないのですね。

小山大島のお墓は鎌倉(神奈川県)の建長寺の回春院にありますが、私の実家の菩提寺は東京・谷中の天龍院というお寺です。法事を欠かさず、親族がよく集まります。兄が4人いて、その連れ合いや子どもも来るのでとてもにぎやかです。

そんなときに私は「生き形見」として、私の指輪やネックレスとか、アクセサリーなどをいっぱい持っていって、みんな好きなのをあげるようにしています。

死んでから「おばちゃんが使っていた物よ」って渡されるより、生きている今、もらった方がうれしいでしょ。その代わり、お金を残す気はありません。

私はもう82歳ですから、最近は乳がん検診で引っかかったり、人間なんていつどうなるか分かりません。元気なうちに何でもやるって決め、先日、ヨーロッパのセルビアまでフルートの演奏会に行ったんですよ。この年齢で東欧の国に長時間フライトするのは、結構な冒険というか、挑戦でした。

素敵な明るい終活ですね。

小山私だって明日、認知症になるかもしれません。そうなった時のことをちゃんと息子たちに伝えてあります。

「ある日突然、『あなたはだあれ』と言ったとしても、私の心はきっと生きているからね」。そして「施設のお世話になるようにしてね」と。そのためのお金だけは用意して残しています。

ご自身は監督を自宅で看病されましたが、それは望まれないのですね。

小山やっぱり、家で看るということはものすごく大変なことです。私がそうなった時には介護の専門施設に任せてほしいと思っています。でも「入れっ放しにしないでね」と言ってあります。

「必ず、私の好きな花を持ってきて」「チョコレートを持ってきて」「好きな音楽はかけて」とか、ちゃんと注文もしているんですよ。

私が何も分からないようになって「あなただあれ」と言っても、「私の心はちゃんと生きているから『ママは大好きだよ』って手を握ってちょうだい」ってそこまで言ってます。これは大事なことなんですよ。あと人工呼吸器や胃ろうなどの延命治療はしないでほしいと伝えています。

監督の最期は、いかがでしたか。

小山最後に私が手を握って、「私のこと好きなら手を握り返して」って言ったら、ほんとに最後の最後に手を握り返してくれました。もう他のことは全部飛んで分からなくなっていたんですけれども、私の最後の言葉はちゃんと届き、聞いてくれたんです。人間っていろんなことが駄目になっても、絶対に心は生きていると思います。

そう考えれば、介護もやりがいがありますね。

小山法事の時に私が息子たちによく言うのですが、「人は二度死ぬ。一度は肉体の死で、二度目は誰にも思い出されなくなった時。回忌は故人を忘れないためにある」と。

JALに勤めていた康裕というおいっ子が、38歳で交通事故で亡くなりました。久しぶりに十七回忌に行くと、見知らぬ9人の男性がいました。実はおいっ子のかつての同僚だったのです。彼らが忘れないで十七回忌に来てくださったということが、ものすごく私の心に響いて、「康裕を忘れないで、よく来ていただいた。康裕は皆さんの心の中に生きている。二人の子どもに、どんなお父さんだったか教えてやってと話しました。人間の命が、人の心や記憶の中に永遠に生きるということをすごく実感しました。

監督が亡くなられて、もう4年ですね。

小山大島の部屋は今も当時のままにしています。毎朝ご飯をあげたり、お花をあげたり、いろんなことを報告したりしています。今でもお参りに来てくださる人がいますし、映画監督でしたので、作品に関連して、何かにつけて、いろんなことを思い出させてくれます。そういう意味では彼は生きています。

今後の夢は。

小山もう女優の仕事はこの年齢ですからあまりすることはありませんが、自分のために生きることと、誰か人のために役立つ生き方をしたいと思っています。

東日本大震災で福島の人たちを支援する「未来・連福プロジェクト」に参加しているのですが、ずっと被災地の人々を忘れずにつながっていたいと思っています。

私は映画の「ローマの休日」が好きで、清楚でかわいいオードリー・ヘプバーンの大ファンです。ある時、彼女がアフリカ難民の子どもと一緒に写っている写真を見ました。

彼女は、女優を辞めて社会支援活動をされていましたが、その顔はしわしわで、かつての面影はなかったのですが、すごい笑顔で、「大女優だった人が、こういう生き方ができるんだ」と、ものすごい衝撃を受け、私の心に残っています。

私は大女優でも何でもありませんが、あの写真のような生き方ができればと思っています。