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後進の指導に当たる柔道五輪金メダリスト 吉田秀彦さん(47)

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2017年6月14日付 中外日報(ほっとインタビュー)

「パーク24」目黒道場で毎週水曜日に開く無料の柔道教室で、子どもたちを指導する吉田さん
「パーク24」目黒道場で毎週水曜日に開く無料の柔道教室で、子どもたちを指導する吉田さん

今の人たちは精神的に軟弱だと思いますか。

吉田確かに精神的に弱いところがありますね。大学を出て就職する時も安定を第一に考える。それはそれで良いことなんですけれども、自分で勝負をかけて何かやろうという人たちは少なくなっていますよね。人生はギャンブルだと思っています。いつ何時、何が起こるか分からない。「明日をみつめて、今をひたすらに」です。

座右の銘ですか。

吉田母校の世田谷学園(曹洞宗宗門関係学校)の校訓です。当時のことはよく覚えています。仏教の授業もありましたし、永平寺に修行で1泊、2泊したり、總持寺にも行ったりしました。勝負の世界って精神論じゃないですか。そういう意味では学園は良い環境でした。

修行の体験も多くされたのですか。

吉田27歳ぐらいの時、世界選手権の前だったかもしれませんが、ちょうどけがで練習できなかったので出羽三山で1週間、断食の精神修行をしました。山伏の格好で歩く荒行です。1週間で7キロ体重が落ちました。修行している時は「何て自分はぜいたくな生活をしていたんだ」と自分を見つめ直しました。下山したら何のことはなかったですけどね。でも一緒に参加した僧侶にいろんな話を聞いて刺激を受けて、もっと頑張んなきゃなと思いました。

いい体験になったわけですね。

吉田人は結構、何事も当たり前になってしまいますから、自分を見つめ直すというのは良い機会になります。試合で負けた時は「なんで負けたのかな、努力が足りなかったのかな」と思うんですよね。常に自分に厳しくすることって難しいじゃないですか。

金メダリストということさえも普通になっちゃうんですよ。2回目に五輪に出て負けた時も「練習していなかった」と反省、3回目の時も「もっとあの時やっておけば良かったな」と。すぐに忘れてしまいますけど(笑い)。次のことしか考えないです。前向きというか、いろんな人と出会って、いろんな方と知り合って「どうにかなるさ」と思っていることが多いです。

総合格闘技に参戦し、初戦のホイス・グレイシーとの戦いは伝説になった試合でしたね。

吉田当時人気もあったし、もう柔道は勝てないけど、総合格闘技なら勝てると思いました。見ていて「もっとこうやればいいのに」という思いもあって、ここだったら今までやってきたことが生きると思いました。迷いましたけど、「これで食っていくしかないな」と。そして、僕が出場することで柔道の人気が少しでも上がってくれればと思いました。

実際、海外の有名な選手と戦ってみてどうでしたか。恐怖心とか。

吉田それは怖いですよ。でも相手も怖いんで、やるしかないです。リングに上がったら一対一で、やるかやられるかです。花道を通っている時もまだ恐怖心がありますが、どう切り替えるかです。

現在の活動は。

吉田全日本柔道連盟では各大会に送る代表選手を選ぶ強化委員です。それから実業団「パーク24」のチームの総監督をしているので、ここから五輪選手を出したいです。出来上がっている選手が入ってきているので、言わなくてもやりますよね。ただ本人だけでは妥協が入るので、最後の一歩をどう挑ませるか。その追い込んだ練習をさせるのが指導者です。

しかし、自分でやっていた方が楽でしたね。自分ができない分、選手が試合に出て勝ってくれたら、それはうれしいです。世の中そういうシステムになっているんでしょうね。自分たちの思いを託すみたいな。

厳しい指導と、いじめや体罰の境界は。

吉田厳しくても、愛がある指導だったら僕はいいと思うんです。本人が分かります。愛があれば「自分が悪いんだ」と思えます。同じ指導を受けても結果が出ない奴に限って文句を言ったりする。日本は戦後、努力、根性、気合で築き上げてきた部分があります。それが日本人の魂で、そういうことがあったから今の日本があると思うんですよ。今は平和になり過ぎちゃっているから、世の中おかしくなってきていますよね。学校でも子どもの方が強くなって、教えづらいとか。教育が教育でなくなってしまっていますよ。

今年はお母様の七回忌とお聞きしましたが。

吉田小さい頃に親元を離れたので母親との思い出は少ないですが、悪ガキだった僕のせいで、近所に一升瓶を持ってよく謝りに行っていたことを思い出します。高校の先輩が住職をしている東京の曹洞宗のお寺に墓を作らせてもらいました。いい供養になったと思っています。