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難民が安心して暮らせる社会の実現を目指す 石川えりさん(41)(2/2ページ)

2017年7月26日付 中外日報(ほっとインタビュー)

ミャンマーからの難民の生活状況を聞き取り調査する石川さん(群馬県館林市、2009年1月)
ミャンマーからの難民の生活状況を聞き取り調査する石川さん(群馬県館林市、2009年1月)

難民支援をするに当たって求められる心構えは。

石川難民と一体化してはいけないと思いますが、やはり寄り添う姿勢が求められます。同情ではなく、いわゆる共感、共鳴ですね。それでも「レイプされた」「タリバンに拷問を受けた」といった経験を聞けば、こちらもたまらなくなります。難民になるという人生でも最もつらい経験を受け止める努力が必要になります。

難民はどのような理由から日本に来るのでしょうか。

石川日本の難民申請者は約1万人と、ドイツなどに比べると決して多くはありません。そもそも難民となるのは自分の命を守るためであり、中には信仰を理由とする方も少なからずいます。例えば、イランなどイスラム教を厳守することを求められる国のキリスト教徒らです。

その上で日本に来る理由は熟慮の末ということは少なく、まずは国を出ないといけなくなり、最初に日本行きのビザが出たから、また同じ村の知り合いが日本にいるから頼って、などという状況です。

とはいえ、日本社会にはまだまだ「難民は怖い」という偏見が見られます。

石川知らない存在に対して「怖い」と感じるのは普通のことだと思います。だからこそ互いの違いではなく、共通項を伝えていくことが大切になってきます。

「難民」という、言葉も考え方も習慣もまったく違う、理解の及ばない自分たちとは違う集団がいる、という分断した考え方を上手にほぐして、まずは等身大のひとりの人間としての姿を見てもらうことです。例えば子どもの幸せを願う母親であったり、故郷に残してきた家族をいつも思っている父親であったりと、そういった姿です。

しかし、言葉や文化、習慣などで実際に違いはありますよね。

石川私たちだって一人一人が違う人間です。難民だけに「日本に来たのだから」と同化の努力を一方的に求めるのではなく、違いを受け入れて尊重し、彼らと共に私たち自身が変わることが必要となります。給食で豚汁を出されてもイスラム教徒の子どもは食べられません。お互いに配慮を必要とする部分があるのです。

就労支援として企業と難民のマッチングを行っていますが、難民が企業の一員として働き始めた事例は40件以上になります。多様な経験や能力を持つ難民の採用を通じて、社内の活性化を期待する企業も増えています。一緒に働く中で「難民」と「日本人」ではなく、お互いに共通の目標へ向かって働く社員、同僚となっていくのです。

宗教団体や関連団体からの支援や協力もあると聞きますが、今後期待することはありますか。

石川財政的な支援や食糧支援を頂いていて、大変助かっています。難民は命を守るために日本に来ています。宗教者には「命を大切にする」という考え方の延長に、難民に関心を持っていただき、解決の輪に加わってもらえるとうれしく思います。

例えば、檀家さんに難民についての話をしてもらえば、地域コミュニティーの信頼できる存在である宗教者が難民を受け入れて、メッセージを発信しているということで、周囲の見る目が変わってくることもあると思います。

様々な事情の難民の話を聞くうちに、迫害される側の宗教が別の地域では迫害する側に回るなど、自分の中の宗教や信仰といったものが相対化されてきました。それでも信仰を持って活動をされている宗教者と話をすると、人の命を尊いと思い、平和を大切にするという本質に共鳴でき、そこから出てくる物事に対するより大きな視野や、異なった視点に気付きを得られます。

1970年代後半に日本に受け入れられたインドシナ難民も高齢になり、亡くなる方も出てきています。今後は介護やお墓の問題もより大きな課題になってきます。日本社会で共に生き、共に学び、共に老い、共に看取るというようなことが起き始めています。そのような部分でも、宗教者の働き掛けに期待したいと思います。