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1万人をおくった納棺師 堀江満さん(47)(2/2ページ)

2017年8月23日付 中外日報(ほっとインタビュー)

終活セミナーなどで講師を依頼されることも増えている
終活セミナーなどで講師を依頼されることも増えている

仕事を始めるきっかけは。

堀江北海道で生まれ、建築関係や旅行の添乗員まで様々な職に就きました。外食関連の仕事から転職を考えた時、ある方から「だったら、うちに来る?」と言われたのです。その方は私の五つ年上で、納棺をメーンにする会社で後に社長となる人だったのですが、仕事が何か、職種すらも、その時は知らなかったんです。

最初は驚きましたか。

堀江出社して、「仕事行くよ」と言われて到着したのは、忌中の札が立った家でした。その時は、ご遺族のそばに立って納棺の様子をただ見ていました。終わってから「どうだった?」と聞かれ、「いろんな仕事がありますけど、大変ですね」と人ごとのように答えました。そうしたら「これが、堀江君がする仕事だよ」と。

私にとっては、一番したくない仕事でした。ご遺体に触ることすら、考えられなかった。新聞にお悔やみ欄がありますよね。亡くなった人の名前がずらりと並んだ記事を見るだけで、小さな頃は怖いと思っていたくらいです。

初めてご遺体の処置をしたのは、病院の霊安室でした。脚絆や足袋を履かせるために布団をめくったら、下半身が壊死していたんです。ご遺体のにおいも嗅いだこともないものですし、衝撃がありました。

今も、人の死は心にくるものがあります。「慣れだ」という人もいますが、なかなかそうはいきません。様々な病気や死を目の当たりにすると、毎日、生と死を強く意識するようになり、生きることを大事に考えるようになりました。

納棺には、どのくらいの時間をかけるのですか。

堀江お棺に納めるまで、1時間程度です。そのうち着替えやお化粧にかける時間は半分くらいです。ドタバタして、悲しみが深くて、末期の水ができていないのなら、それに時間を使ったりもします。私たちの仕事は、ご遺族の補助をすることであり、あくまで黒子なんです。

全て私たちがすればいいというわけでもない。ご遺族が悲しみで手が震えていたとしても、口に紅を差すだけでも思いが残る。そういうものに、時間を取ってあげたい。

黒子として、一番難しいことは。

堀江これまで1万体以上のご遺体の納棺をしてきました。ケースごとで千差万別です。それぞれで何を求められているのか、その空気を読んで、セレモニーとしての納棺をしなくてはいけません。どんな家でも、どんな状況でも喜んでいただけるようにするというのが、納棺師としての最低限といわれています。

東日本大震災の被災地でも、ご遺体の処理に携わったそうですね。

堀江最初に向かったのは、仙台市の中心部にある体育館でした。ブルーシートが敷かれた上に、ご遺体が何百体も並んでいました。長い髪の毛に、木や草が巻き付いているご遺体もあれば、親子だとみられるものは隣り合うようにして寝かされていました。その時は断水していたために、きれいにしてあげたくても、流せる水すらなかった。

ドライシャンプーやアルコール薬品で、できる限り拭いてあげようと思ったのですが、あまりにもたくさんの方が亡くなっていて、私たちにできることにも限界がありました。

警察による検視の後に、お棺にそのまま納めるのが圧倒的に多かった。午前10時から午後5時頃まで、1週間ずっと、かかりきりになりました。

そこで感じたのは、親族に見守られながらセレモニーとして送られることは、当たり前のようで、当たり前でなかったということ。普通であって、普通じゃないと痛感しました。

納棺師という仕事のこれからは。

堀江亡くなった方から言葉は返ってこないけど、結果としてご遺族の方から「ありがとう」という言葉が頂ける。納棺は、一人一人の人生の最期の一度しかない機会。そういうときにお手伝いができ、喜んでいただける。

最近は、終活イベントなどで実演してほしいと呼ばれることがあります。ご覧になった方が感動して「私が亡くなったときに来てほしい」と言っていただけることも。

ですが、まだ納棺や湯灌がセレモニーとして浸透していない地域もある。いろんな場所で、広げていきたいと考えています。