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トップ> ほっとインタビューリスト> 毎日、原爆ドーム前で無料ガイドを続ける胎内被爆者 三登浩成さん

毎日、原爆ドーム前で無料ガイドを続ける胎内被爆者

三登浩成さん(71)(1/2ページ)
2017年9月13日付 中外日報(ほっとインタビュー)

被爆の実相を正確に伝えたい

一年中ほぼ毎日、午前9時すぎから午後4時ごろまで、広島市の原爆ドーム南側で無料ガイドを続けている。

胎内被爆者で、広島県立高校の英語教師を経て、11年前からガイドを始め、これまでに日本人22万人、海外171カ国6万人に被爆の実相を伝えてきた。

「一日も休みたくない。地道に核兵器の非人道性を伝え、世界の世論を変えたい。そのチャンスを、みすみす見逃したくないんです」。日焼けした小麦色の顔から、白い歯がこぼれた。

(萩原典吉)

毎日、原爆ドーム前で無料ガイドを続ける胎内被爆者 三登浩成さん
みと・こうせい氏=1946年、広島県生まれ。広島大卒。58歳で広島県立高教諭を早期退職。現在12人が所属する広島平和記念公園のガイドグループFIG(Free and Informative Guide)代表。日々のガイドの他、年間70校の碑巡りガイドを担当。

お母さんの登美枝さん(99)が、妊娠4カ月の時に胎内被爆されたそうですが。

三登母は爆心地から7キロ離れた畑賀に疎開していましたが、被爆3日後に広島市内の小町にあった自宅が心配になり、入市被爆しました。

20歳で被爆者健康手帳を交付された時、どう思われましたか。

三登広島には被爆者がいっぱいいるし、あまり思うことはなかったですね。逆に、母はあえて意識して考えないようにしていたみたいです。私も祖父のように死んでしまうのでは、と不安があったようです。(登美枝さんの父は、爆心地から600メートルの土橋町で被爆し、即死は免れたが、10日後くらいから体中に赤い斑点が出た。口からも下からも内臓を吐き出すかのような状態になり、9月3日に亡くなった)

ガイドを始めたきっかけは。

三登50歳の時に、被爆証言者の沼田鈴子さん(2011年に87歳で死去)が、車いすで平和記念公園の碑めぐりガイドをされたのを聞いたからです。その時に二つのご縁を頂きました。

一つは、それぞれの碑にあるバックグラウンドに気付かされたこと。もう一つは、当時73歳頃だった沼田さんが「体力的にガイドが難しくなったので、若い人にお願いしたい」と言われたことです。その後、沼田さんと何度も会い、思いを託されたという気持ちがあります。