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「花と妖精」で夢と希望の世界を描く 永田萠さん(68)(1/2ページ)

2017年10月25日付 中外日報(ほっとインタビュー)

見えなくとも大切なもの

「花と妖精」を中心としたファンタジックな絵を描く。カラーインクを使った透明感のある色彩豊かな優しい画風が人々を夢の世界へと誘う。

その絵は、山川草木に宿るいのちの神秘性を感じさせ、「目に見えない大切なもの」を大事にする心を子どもたちに伝えたいという。やなせたかしさんとの出会い、大好きだったいわさきちひろさんの死などをきっかけにイラストレーター、絵本作家を志した。「子どものために絵を描くことに一生を捧げたい」と願う。

(河合清治)

「花と妖精」で夢と希望の世界を描く 永田萠さん
ながた・もえさん=1949年、兵庫県加西市生まれ。京都の出版社、デザイン会社などを経てイラストレーターとして独立。「妖精村」を拠点に夢や希望をテーマに描き続け、国内外から高い評価を得ている。絵本や画集は160冊を超え、作品は数千点に及ぶ。2016年から京都市こどもみらい館館長。京都市北区在住。

「花と妖精」を描くようになったのは、いつ頃から。

永田京都市の成安女子短期大の意匠科でデザイン全般を学び、卒業後は出版会社に就職、グラフィックデザインの仕事に携わっていたのですが、1975年、26歳の時に会社を辞めてイラストレーターを志しました。

しかし、独立すると何でもしなければいけませんから、しばらくは依頼先からいろんな人の作風やタッチを示され、その要求に沿ったイラストを描くという仕事が続きました。でもこれでは会社を辞めて独立し、イラストレーターになった意味がないと、自分が一番描きたいもの、絵のスタイルを知ってもらおうと自費出版したのが『もえと妖精たち』でした。

なぜ妖精を。

永田私は兵庫の田舎の古い家で生まれ育ちました。大自然への畏敬の念や信仰が自然にある地域で、川や山、池や田んぼなど、どこにも神様、仏様、精霊的なものがいるのが普通という感覚でした。播磨国風土記の地でしたので、伝説や不思議な昔話も伝わり、祖父母の世代からよく話を聞いたものです。

その影響もあり、妖精や花などのファンタジーの世界を描くようになりました。

仕事はすぐに軌道に乗ったのですか。

永田とても不思議な話なのですが、絵本を自費出版した後、しばらくして東京のやなせたかし先生から突然、1通の手紙が届いたのです。

私が絵本の原画展を開いた時に絵本を購入した方が友人へプレゼントしたり、そういう中の一冊が先生の元に届いたらしいのです。内容は「私の雑誌の挿絵の仕事をしませんか」。うれしかったですね。この仕事に入る大きな扉を先生が開けてくださいました。

アンパンマンのやなせ先生ですよね。

永田今はそのイメージが強いですが、当時は「手のひらを太陽に」も作詞されたり、とても有名な詩人でイラストレーターでした。先生はサンリオ出版で『詩とメルヘン』『いちごえほん』などを手掛けておられました。一般の人から募集した詩にプロが絵を付けるという、すごい人気の本でしたが、そこで少しずつ絵を描く仕事をさせていただくようになりました。