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がん撲滅、難病支援に取り組む元アナウンサー 清水健さん(42)(1/2ページ)

2018年10月10日付 中外日報(ほっとインタビュー)

心の中の妻の存在 大きな支え

関西の夕方のテレビ番組でメーンキャスターを務め、爽やかな笑顔で視聴者から“息子”のように親しまれていた。2013年5月にスタイリストだった奈緒さんと結婚し、14年10月に男の子を授かった。しかし、妊娠時に見つかった乳がんが奈緒さんの全身に転移し、出産3カ月後の15年2月に29歳で逝去。わずか1年9カ月の結婚生活だった。17年に読売テレビ放送を退職。「清水健基金」を設立して講演活動を展開し、がんや難病と闘う人々に寄り添い続けている。

(河合清治)

がん撲滅、難病支援に取り組む元アナウンサー 清水健さん
しみず・けん氏=1976年、堺市出身。中央大文学部社会学科卒業後、読売テレビ放送に入社し、関西地方の報道番組「かんさい情報ネットten.」でメーンキャスターを務め、関西の“夕方の顔”として親しまれた。妻の死後、「清水健基金」を設立し、代表理事に。講演活動、がん対策、難病支援を展開している。

講演で「神様なんかいないと思ったこともある」と話されていたのが印象的でした。

清水結婚から1年9カ月、あまりにも短く突然過ぎました。出産の1週間後、がんが全身に転移していると宣告された時、本当に、神様っていないんだなって思いました。いたら、こんなことにはならないでしょう。「なんで」という言葉しか出てきませんでした。運命を恨みました。神様は乗り越えられる試練しか与えないとか、耐えればその分が後で返ってくるとか簡単に言いますが、現実、私には耐えられる状況ではありませんでした。

ただ、妻の葬儀を営んでくださった女性僧侶が、お経を読みながら一緒に涙を流して泣いてくれたことで心が救われたのはありがたかったですね。

治療か出産か、難しい選択だったのですか。

清水私たちは、手術、お腹の赤ちゃんに影響が出ない程度の抗がん剤治療で、出産をする、3人で生きることを選択しました。そのことが原因で妻が亡くなったとは全く思っていません。逆に、同じ状況で、子どもを諦めて本格的ながんの治療を優先した人がいても、その選択も間違いではない。どんな答えでも、その人が真剣に向き合い、考えて出した答えなら、それが正解だと思います。

1年半前、テレビ局を退社して講演活動に専念するとの知らせに惜しむ多くの声がありました。

清水2016年の妻の一周忌に『112日間のママ』という本を出版した後、講演の依頼を受けるようになりました。すると、本を読んだり講演に来てくれたりした人から、「乳がんの検診に行ったよ」っておっしゃる方がいてくださいました。

たとえ直接的な呼び掛けでなくても、大切な人への思いを伝えることで役に立てるのなら、そして大切な人のために今できることを考える瞬間を一緒に共有できればと思い立ち、基金を設立して講演活動に専念することにしました。

テレビ局を退社するのは勇気が要りましたが、「今、できることがあるならば」という信念から退社を決心しました。

キャスター時代と変わったことは。

清水キャスターをさせてもらっていた時も、視聴者の皆さま、テレビの向こう側を意識して仕事をし、様々な事件や出来事の報道に努めていたつもりでした。でも実際、講演等でじかに皆さんと接することで、大切な人を病気で亡くされた人の悲しみ、また様々な喜び、怒り、悩みなどが、それぞれのカタチで普通の生活の中にもいっぱいあるんだなって、今になって気付かせてもらっています。

皆さんと直接お会いして話をさせていただくので、そこで使うパワーというのは、キャスター時代となんら変わりません。