ニュース画像
「より良い社会づくりにはヒトの特徴を知ることが必要」と説く佐倉教授
主な連載 過去の連載
エンディングへの備え
時代を生きる 宗教を語る
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版
トップ> ほっとインタビューリスト> 大石順教尼の教えを若者に伝える短大学長 安本義正さん

大石順教尼の教えを若者に伝える短大学長 安本義正さん(75)

(1/2ページ)
2019年1月9日付 中外日報(ほっとインタビュー)

「赦す」ことが社会には重要

両腕を失いながらも後半生を身体障害者福祉に尽くした高野山真言宗の尼僧・大石順教尼(1888~1968)。その生き方と教えを若者に伝えようと造立された十一面千手観音像が京都文教学園(京都府宇治市)に寄贈された。運動の呼び掛け人代表で、京都文教短期大の学長を務める。

「順教尼は腕を切った養父を赦し、後に供養までしている。すごい人だと衝撃を受け、新たな人生の師に出会った感動があった」。人生を肯定する順教尼の生き方を学んでほしいと学生たちに訴えている。

(士竪俊一郎)

大石順教尼の教えを若者に伝える短大学長 安本義正さん

やすもと・よしまさ氏=1943年、兵庫県生まれ。大阪大工学部卒、同大大学院修士課程修了、博士課程中退。同大産業科学研究所助手として音響科学を研究、工学博士。京都文教短期大助教授、教授を経て、2008年から同短大学長。高齢者の健康福祉、緩和ケアなどのほか、古代米(赤米)の研究も。著書に『古代からのメッセージ~赤米のねがい』『赤米を訪ねて』『音感内観~自分さがしの音日記』『親子の会話~もっとお話しようよ』『ビハーラ入門』(共著)など多数。

大石順教尼のことを知ったのは。

安本実はまだ5年ほどなのです。自宅が京都・山科の勧修寺から歩いて約20分の距離で、時々散歩に出掛けていたのですが、たまたま順教尼が住まわれた同寺境内の可笑庵を知りました。私が研究している古代米の愛好者から毎月21日、順教尼の命日に同庵で開かれる偲ぶ集いに誘われて……。そこでお孫さんの大石晶教さんにお会いし、集いに通うようになって順教尼の生涯、事績を知りました。

順教尼は明治時代に起きた「堀江六人斬り」事件の被害者ですね。

安本そうです。順教尼は大阪・道頓堀のすし屋に生まれ、幼い頃から日本舞踊を習い、13歳の時に堀江の妓楼の養女になります。舞妓になって17歳の明治38(1905)年6月21日未明、妻の失踪に狂乱した養父が日本刀で家族ら6人に切りかかり、5人を殺害。順教尼は両腕を失いました。養父は自首しましたが、2年後に極刑に処せられた大事件でした。

後半生はよく知られているように、口に筆をくわえて書画を描く方法を独学で習得。ある住職に師事して国文学や和歌を学び、45歳の時に高野山で出家得度し、順教の法名を頂きます。山科・勧修寺の境内に身体障害者の福祉相談所を設立して身体障害者福祉、社会自立のための活動に専念。晩年を可笑庵で過ごされました。

壮絶な生涯ですね。

安本すごい人です。私自身70歳にして新たな人生の師に出会ったという衝撃を受けました。以前から障害者福祉に関心がありましたので、こんなすごい人がいたことを若い人たちに知ってほしいと思いました。

障害は誰にでも起こり得ますが、順教尼は自分が生きていることの価値を信じ、同じような障害のある人々に一人でも多く生きる力を与えようとされた。それを自身の天職と考えた思いがありありと伝わってきました。

順教尼は「両腕がないのは不自由ではあっても、不幸ではない」と言われました。生きていく中ではつらいことや苦しいことも多くあり、自分の人生を受け入れ、肯定することは、なかなかできることではありません。順教尼の言葉には人を幸せにする不思議な力があり、私自身の生き方にも取り入れたいと思いました。いのちにきちんと向き合う姿勢を学ばせてもらいました。こうした順教尼の生き方を学生たちにも伝えたいと、大学祭で順教尼の作品を紹介し、半生をつづったDVDを上映しました。できれば生前の順教尼にお会いしたかったし、今もどこかにおられる気がします。