ニュース画像
小御所で加持をする釜堀氏
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

知能には個性が ― 学校カウンセラーの草分けとして

六甲カウンセリング研究所所長 井上敏明氏

2013年2月2日付 中外日報(わが道)

いのうえ・としあき氏=昭和10年、京都市生まれ。立命館大大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了。神戸海星女子学院大教授などを歴任。臨床心理学者。現在、六甲カウンセリング研究所・六甲アスペルガー研究所所長、文部科学省のいじめ問題アドバイザー、兵庫県警本部の心理相談顧問、兵庫県教育委員会の自殺予防対策委員会委員などを務める。著書に『適応障害とカウンセリング』ほか多数。
多くの子供と向き合ってきた井上所長
多くの子供と向き合ってきた井上所長

いじめや自殺など青少年を取り巻く問題がいま大きくクローズアップされている。昭和42年に六甲カウンセリング研究所を設立した井上敏明所長(78)は、学校でのカウンセリング業務など多くの臨床現場で、悩みを抱える子供たちと向き合ってきた。井上所長に自らの歩みを振り返ってもらうとともに、日本の教育の問題点を聞いた。

(飯川道弘)

臨床業務の出発点は。

井上大学院を出て京都市の吏員(児童指導員)を2年間、務めました。ここで知的障害を持つ子供たちの研究や指導をしていました。知的障害にはいろいろな種類がありますが、どんな子にも何かができるはずです。作業内容やシステムを工夫すれば物作りの作業に参加できますし、そこから役割意識も生まれる。そこで考えたのが、セメント・れんが作りです。練る、固める、型枠を外すなど、それぞれの知的レベルに合わせて細かく分業し、一つの工房で皆が作業できるシステムをつくり、京都市の若杉学園など各地の施設へ販売しました。

学校カウンセラーの草分けでもありますね。

井上昭和30年代は戦後のベビーブームで生まれた子供たちの就学で学校が足りない。日本聖公会の八代斌助さんが神戸・垂水の土地を提供して昭和38年に八代学院高(現神戸国際大附属高)が開校しましたが、入学生に注意欠陥・多動性障害や学習障害、アスペルガー症候群(広汎性発達障害)、強烈な非行などさまざまな障害を持つ子がいました。

校長を引き受けたのは京都大教育学部の助手をしていた大段智亮さんで、当時どこの学校にも無かった教育相談室を作ったのです。専門のカウンセラーを入れようと私が呼ばれ、日本初の学校カウンセラーになりました。その後、関西学院の中・高等部に移り、カウンセラーを続けながら研究所を立ち上げたのです。

勉強はできるし家庭も豊かだが、ちょっとうまくいかない、途中で挫折する。そういうお子さんを引き受けることが次第に研究所の課題になりました。阪神地区の進学熱が高くなり、それとともに不登校の子も増え、私たちの仕事が広がっていきました。当時は私のような仕事は全国でも少なく、NHKはじめ新聞、ジャーナリズムが関心を持つようになりました。

特にアスペルガーの子供たちへの支援を続けています。

井上平成18年から3年間、芦屋大アスペルガー研究所所長を務めた時は、全国から約500件の相談がありました。アスペルガーの子には学校の枠に入りきらない才能の持ち主がいます。学校というシステムに合わず不登校になった子供さんをフリースクールとして私どもの研究所で預かってきました。学校へ行かず研究所へ6年間通って著名な写真家になった津田直さんもその一人です。

日本の教育の問題点は。

井上日本の社会全体が「学歴コンプレックス」にあるといえます。学歴は日本人が生きていく上でのこだわり、コンプレックスでしょう。これは東京大の出身者にもあります。高校・大学の出身校にこだわる日本人の心理を私が著した『学歴の深層心理』は日本語の本で、翻訳はされていませんがアメリカでもよく読まれました。

学校制度や大学システムが整備されればされるほど偏差値が生まれ、上・中・下とランク付けされる。小学1年から中学3年まで毎年3回通知表をもらうと9年間で27回。5段階評価で2~3の子供たちと4~5の子供たちは歴然と分かれ、最後まで変わりません。

具体的に考える人、抽象的に考える人。知能の働きには個性がありますが、学校教育では英語・数学を中心に抽象志向的な頭の働きのできる人が優先的に上り詰めていくようになっています。通知表の成績で知能を測り人間の出来不出来を決めてしまう。これは知能への偏見です。2~3の評価の子供にできることを伸ばす教育が必要ですが、100年間続いた今の教育はすぐには変わらないでしょう。

宗教界へのメッセージを。

井上私の家は浄土真宗、西本願寺の熱心な門徒で私は平安高に学び、宗教的なものへの関心はずっとありました。家には布教使さんがよくみえて、ご示談と呼ばれる法座にも参加していました。心理療法の一つである内観療法のやり方は、ご示談と同じだと思います。こうした背景が私をカウンセリングの仕事へと向かわせたのでしょう。

私の考えでは、仏教は「無」ではなく「有」のイメージ療法を取り入れるべきだと思います。いよいよ死が近づいてきた時、いかに安心を得るか。枕元に親の写真を貼っておくのです。「間もなく行くから待っててね」と。親のいる世界はイメージできますから、それが現実的で一番安心できる。心を和ませ穏やかに死を迎えるための一つの方法だと思います。僧侶という立場を意識しすぎることなく、素直な人間の感覚でお仕事をしてほしいですね。