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生産と消費は一体

NPO法人「使い捨て時代を考える会」相談役 槌田劭氏

2013年3月2日付 中外日報(わが道)

つちだ・たかし氏=昭和10(1935)年、京都市出身。京都大理学部卒。専攻は金属物理学。同大助教授時代に「使い捨て時代を考える会」を設立。愛媛・伊方原発建設訴訟で住民側の証人として参加後、科学者としての発言をやめることを決意し大学を辞職。後に京都精華大教員となり自然科学、環境問題、環境社会学を教える。日本有機農業研究会幹事など歴任。福島原発事故後、脱原発を訴えて18日間のハンストに参加。
「人はいのちの自然に支えられ、初めて生きることができる」と語る槌田氏
「人はいのちの自然に支えられ、初めて生きることができる」と語る槌田氏

37歳の時に立ち上げた「使い捨て時代を考える会」が、今年40周年を迎えた。有機農業を推進し、生産者と消費者、およびそれを結ぶ物流関係者の3者が会員となり、安心、安全な食生活を送るシステムをつくり上げてきた。福島第1原発の事故に対して「原発を止めることができなかったことは罪なんです。まず今の生き方に疑問を持ち、生き方を変えることが必要です」と語る同会相談役の槌田劭氏(77)=京都府宇治市=に話を聞いた。

(萩原典吉)

初めは科学者として歩まれましたが、子どものころは科学に憧れたのですか。

槌田僕の高校時代は戦後の民主主義が消えていく時代で、大学に入学した年にビキニ環礁で米国の水爆実験があり、平和の問題が頭の中で巡っていました。父が大阪大の化学の教授で資源問題に取り組んでいたので、高校、大学時代を通じて、よく父と資源を大事に使い、未来の人たちの権利を侵害しないように、と話していました。

学生のころから、科学に疑問を持っておられたのですか。

槌田当時は科学の使い方に問題があると思っていました。今の私の心境は違います。今は科学そのものが大きな間違いだったと思う。ただ勉強したことは無駄ではなかったと思いますよ。

「使い捨て時代を考える会」を立ち上げようと思われたのは。

槌田高度経済成長時代は同時に、公害時代の始まりでもありました。物量の豊かな社会は、限りある資源を消費し、生産と消費の過程で廃棄物が出る。その廃棄物が無責任に捨てられた。

工業文明は基本的に目先の利害で動く。利己主義、刹那主義で必ず没落する。今の時代は良くても、未来の世代にこの社会を支えることができないと思ったからです。

有機農業を主張されるようになったのは。

槌田それは「いのち」の問題です。僕の関心事の中で大きな位置を占めていたのが、食料生産でした。しかし、一人の農家も知らなかったし、自分で畑仕事をしたこともなかった。だから恥を忍んでというか、恥を自覚しながら、先輩たちに教えてもらって、いろんな経験を重ねました。まあ一歩ずつです。

人はいのちの自然に支えられ、初めて生きることができる。近代農業は、農業に工業的発想を適用したもので、化学肥料で植物を育て、病気や害虫を避けるために農薬を使う。この思想は本質的にいのちに対する反逆です。

現在の会員は約1500人とお聞きしますが。

槌田全国に通信会員がいますが、有機農産物の物流に関わっているのは、京都を中心に大阪と滋賀の会員です。形としては生協と一緒ですが、生協は消費者の利益を代表するものです。われわれは生産者の立場も消費者の立場も考える。お互いの立場を考え合うことで、初めてそれぞれの希望が実現する。けれども現実には、消費者はより良く安い物を求めるし、生産者はより高く売りたいと思う。そこに混乱が生じる。その時、なぜこんなことが起こるのか。どう受け取ったらよいかと。

生きるということは、縁に結ばれているわけですよ。孤立して生きている人はいない。仏教的に言えば縁ですね。生産と消費は一体だと言っています。ある人に言わせれば、これは実践的宗教活動ですねという。だけど僕は宗教活動をやっているわけではない。

福島原発事故後の生き方を、どう考えておられますか。

槌田原発の持つ本質的な危険性は十分に言い尽くされているので、これ以上言わないとして、事故によって人間の愚かさが見えたと思う。生き方を変えることです。こんな煌々と電気を使っている空間で生きていることに、まず疑問を持つ、恥じる。そうでない限り、原発は止まらない。

原発事故を止めることができなかったことは罪です。僕は40年間、脱原発を言い続けてきましたが、聞いてもらえない程度の非力な自分を見つめざるを得ない。

ただ、今まで原発に反対していなかった多くの皆さんが脱原発の取り組みに参加いただいている。そのことが先の可能性を開くと思います。

最近は「南無阿弥陀仏」を口にされるそうですね。

槌田福島原発事故が起こった時に眠れなかった。なぜかというと、できもしないことを、あれこれと思い悩むから。つまり「自力作善」の思いがあるからです。

福島の農民に心を寄せるのが僕の立場ですから、会は地産地消が原則ながら、例外的に福島の農産物を購入しています。汚染の心配を語る人もいますが、それは母親の愛情として当然だと思う。けれども本当に願っているのは、子どもの幸せでしょう。子どもが幸せに生きるためには、心が健全であり、社会が健康である必要がある。これは本来、宗教の重要なテーマだと思います。