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お念仏の法悦を

作曲家・浄土宗詠唱教導職 松濤基道氏

2013年4月2日付 中外日報(わが道)

まつなみ・きどう氏=大正2(1913)年、茨城県出身。大正大卒業後、浄土宗の宗門関係校の東海中・高(名古屋市東区)に奉職し、同校で校長や東海学園資料館館長などを歴任。宗門では吉水流詠唱の作曲や指導で活躍し、浄土宗芸術家協会副会長、児童教化連盟理事長、詠唱委員会委員長などを務めた。現在は詠唱の最高指導者である詠唱教導職で、総本山知恩院吉水講顧問。作曲家としてのペンネームは松濤基。
今年満100歳。「作曲は一生の生きがいであり、活力のもと」と笑う松濤氏
今年満100歳。「作曲は一生の生きがいであり、活力のもと」と笑う松濤氏

浄土宗の吉水流詠唱は昭和21年に「敗戦で荒廃した人々の心にやすらぎと生きる希望を」との願いから、西洋音楽の理論で作曲された御詠歌・和讃と舞からなる"古くて新しい御詠歌"として改編・創始された。創始者の一人である作曲家の松濤基道氏=名古屋市東区=は、満100歳を迎えた現在も壮健。「作曲活動は私の生きがい」と創作意欲は全く衰えていない。

(池田圭)

作曲はいつ学ばれたのですか。

松濤大正大在学中に東京音楽学校(現・東京芸術大)の弘田龍太郎先生からです。

当時、浄土宗は他宗派に先駆けて児童教化に取り組んでおり、その拠点が東京・小石川の傳通院でした。そこには他派の方も集まっておられました。傳通院の児童教化活動の一つに弘田先生が指導する音楽サークルがあり、私は作曲家でもあった天台宗の本多鉄麿さんの手引きで先生から教えていただきました。

大学卒業後は東海中・高の教諭に。

松濤学生時代の専攻は史学だったので、社会科の担当でした。同校の卒業生である海部俊樹・元首相や建築家の故黒川紀章氏、哲学者の梅原猛氏らは皆私の教え子ですよ(笑い)。直接音楽の教諭だったというわけではないのですが、作曲を本格的に始めたのは大学卒業後のことで、仕事の合間に続けていました。

吉水流詠唱の創始当時を教えてください。

松濤宗務庁の吉水智承・教学部長に、舞踊の指導者だった鈴木錦承さんと共に呼ばれ、新しい教化活動の創設を提案されたのが吉水流詠唱の始まりです。

これを受けて昭和21年7月に第1回詠唱講習会を総本山知恩院で開催しました。「まだ海のものとも山のものとも分からない」というような反応でしたが、軍服姿の池上霊心さん(後に知恩院吉水講理事長)が最前列で熱心に受講していた姿が印象に残っています。

当時、音楽に堪能な曽我晃也さんという方が教学部におられ、私と曽我さんで作曲を担当しました。新しい詠唱の教材もつくり、曽我さんと池上さんがペアになって普及に努められました。他宗派の金剛流や大和流などのように浄土宗にも古くから伝わる御詠歌の下地があったので、"乗り換え"はスムーズにいったと思います。

吉水流詠唱は西洋音楽の理論で作曲された"新しい御詠歌"といいますが、伝統的な御詠歌と同じように違和感はありませんね。

松濤西洋音楽の七声音階に対して、日本人が親しんできた和楽の五声音階で作曲しているのが特徴です。吉水流の御詠歌や和讃の歌詞の多くは法然上人の和歌や法語ですが、この音階でなければ、日本語で説かれた教えの心は伝わりません。

吉水流詠唱が創始された当時、中外日報の記者で児童教化活動にも熱心に取り組んでいた高橋良和さんから「御詠歌は古くさい」と言われたこともあります(笑い)。

しかし私は人間の心の琴線に触れる、宗教的な捨てがたい音楽だと信じてやってきました。古くさく見える御詠歌をそうした作曲理論で新しく取り上げていったのです。

作曲の要点は。

松濤音楽も一つの組み立てですから起承転結がある。この中で「転」の部分が非常に大切です。結論を「そうだ」と納得させるための変化をいかにつけるのか考え抜きます。

特に私は言葉(歌詞)のアクセントを十分に考慮して旋律をつけています。それが御詠歌や和讃を通して法然上人の教えを納得させる、一番効果的な方法だと思っています。メロディーを先に考えて作曲される方も多いですが、起承転結のメリハリの印象が弱いのが目立ちますね。

作曲にどのような思いを込めていますか。

松濤人々にお念仏をいかに勧めるか、念仏の法悦をいかに表すか。それが本当の仏教音楽だと思います。

吉水流詠唱が創始されたのは、戦争で心が荒廃した人々に希望を見いだしてもらうという目的があったのですが、詠唱の普及を通して音楽には人の心を癒やす力があるのだと実感しました。

東日本大震災に直面している現代の日本も敗戦直後と似たような状況にあると思います。震災の発生直後、私はすぐに震災への思いを込めた和讃を作曲しました。今のところ、この曲を披露する機会には恵まれていないのですが、宗教者には人々の心の盛り上がりを助ける努力が必要だと考えています。

ちなみにこれまでの作曲数は。

松濤きちんと数えているわけではありませんが、数百から千曲くらいでしょうか。今でも作曲の依頼はありますよ。

創作意欲は衰えないですか。

松濤全く衰えませんね。一生の生きがいであり、活力のもとです。

満100歳。健康の秘訣は。

松濤少食ということでしょうか。食べ過ぎず、少ない食べ物をよくかんで食べるようにしています。

それからやはり大勢の吉水講員の方々が歌ってくださっていることが私の活力になっています。