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出会いに支えられ

㈱小島建設社長 小島隆氏

2013年11月2日付 中外日報(わが道)

こじま・たかし氏=昭和42年生まれ。平成2年、東海大工学部卒。東京で3年間、宮大工棟梁のもと修業を積んだ後、6年に㈱小島建設入社。9年、1級建築士免許を取得。11年2月から9カ月間、無一文で歩き遍路の旅に出る。17年、代表取締役社長に就任、現在に至る。13年に結婚した夫人との間に3児。同社は桑名藩の御用大工棟梁・小島九右衛門を祖とし、小島氏の父・進氏(現会長)が七代目小島九右衛門を襲名している。
長旅ですり減った金剛杖と遍路笠を持って
長旅ですり減った金剛杖と遍路笠を持って

弘法大師ゆかりの88の札所を巡る、四国遍路。「お遍路ブーム」と呼ばれる昨今、年間20万とも50万ともいわれる人たちが四国巡礼の旅に出る。ただし、車で巡る人が大半を占め、徒歩で結願を目指す「歩き遍路」は全体の1%程度という。社寺建築を専門に手掛ける三重県桑名市の㈱小島建設社長・小島隆氏(45)は、今から14年前に歩き遍路を体験した一人。しかも、お金を持たない「無銭遍路」の旅だった。何が小島氏を旅立たせ、9カ月に及んだ巡礼を経て何が見えたのか――。

(三輪万明)

お金も持たず、一人で歩き遍路の旅に出た。

小島小島建設に入って5年ほどがたった、31歳のころのことです。後継者として入社し、会社に対する責任や立場はわきまえていたつもりです。しかし、どこかで横柄な人間になっていたのかもしれません。仕事上では大きな失敗をし、私生活では自動車事故を起こしてしまいました。

今から振り返ると、壁にぶち当たったというより、自分の未熟さが招いた当然の結果だったと思います。謙虚さとか、支えてくれる人たちへの配慮。そうした大切なものを、どこかに置き忘れてしまっていました。より大きな社寺建築を建てたいといった外面にばかり執着し、仕事の上でも人間関係の上でも、内面に目を向けることがなかった。

四国八十八カ所の歩き遍路を私に勧めてくれたのは、当時社長だった父です。1年くらいかけて出直してこい、と。かつて、お四国を回った経験があったので、何か思うところがあったのでしょう。私としても、とにかく更生したい、まっさらな自分になりたいという一心でした。今のままではきっと自分は変われない。そんな焦りがあったのも確かです。

ただし、暇はやるが、お金は持たせない、と。

小島できるだけ多くの人と会って、人のありがたさを感じてこい。ただしお金は持っていくな。この二つが条件でした。

実際に霊場を巡ってみていかがでしたか。

小島肩書も所属もお金も捨てて、独りぼっちの「小島隆」になりました。まさに身一つです。1番札所の霊山寺で金剛杖と遍路笠、白衣をそろえたら、先輩や上司がそっと渡してくれた餞別もなくなり、文字通り無一文になりました。もちろん泊まるあてもありません。

お遍路を始めたのは2月でしたが、四国といえども冬は冬。野宿でもして過ごせばいいと考えていたら、地元の人に「あんた、凍死するよ」なんて言われましてね。慌てて8番札所の熊谷寺に駆け込み、境内のお堂に泊まらせてもらったものです。

熊谷寺の住職様には「ここから先は、般若心経を唱えながら托鉢をして進みなさい」と勧めていただきました。ところが、宗旨が浄土真宗の私は、般若心経を読んだことがない。申し訳ない気持ちでそう言うと、「よし、私が教えてやろう」。結局、数日間にわたって泊めていただきました。

13番札所大日寺の奥之院に当たる建治寺では、毎朝4時起きで滝行を行わせていただきました。通常は21日間が一つの区切りとされ、その最後、写経をし、ご住職に見ていただくことになっています。お見せすると一言、「もう21日間、続けなさい」。心の奥深くを見透かされているような、それでいて励まされているような、不思議な気持ちになりました。

巡礼を重ねるうち、心境に変化は。

小島はっきりとした形ではなく、少しずつ何かが変わってきたという感覚でしょうか。四国は不思議なところで、お遍路さんを大切にする「お接待」の文化が色濃く残ります。こんな私にも、缶コーヒーやパンをお接待してくれ、見ず知らずの他人にもかかわらず快くご自宅に泊めてくださる。お参りした札所や地元の人たちと接するにつれ、一宿一飯に対する恩義や仏心の芽生えを意識せずにはいられなくなりました。

お遍路をするまでの私は、時間に追われお金に追われという毎日を過ごしていました。険しい遍路道では、極寒の冬に吹雪で凍えそうになったり、夏には野犬の群れに遭遇したこともあります。石鎚山に登った時は、下山途中で滑落してしまいました。それでも「生かされている自分。早くお世話になった人に恩返しできる人間になりたい」との思いは、日増しに確かなものとなっていきました。

小島結願はいつ。

その年の10月です。結願をして高野山へお礼参りに訪れた際、不思議なことがありました。奥之院をお参りしてふと気付くと、さっきまで手にあった数珠がない。巡礼中もずっと大切に身に着けていた数珠で、今でもどうしてなくなったのかは分かりません。ただ、「決して大業をなしたわけではないぞ」と、お大師様から戒めのお言葉を頂いた気がしたのは今でも覚えています。

巡礼当時の日記や頂いた写真などは、大切に保管していますが、しまってある段ボールを開くことはほとんどありません。そうしなくても、瞬時に、あの時の空気に戻ることができるから。戻っては反省し、叱られ、励まされ、その繰り返しです。私はまだまだ足りない人間。社寺建築という誇るべき仕事を通して多くの人と出会い、触れ合わせていただく中で、人としてプロとして、魅力ある人間に成長したいですね。