現代建築で様式美追求
亀山建設社長 亀山直央氏
2014年7月25日付 中外日報(わが道)

「コストパフォーマンスの高い伝統建築を目指す」と話す亀山さん
岐阜県関市に、社寺建築全般の設計・施工を手掛ける亀山建設がある。創業は1937年。社寺建築の分野には70年代から本格参入し、現在は施工物件の9割以上を寺社が占める。約90人の大工・設計士集団を率いるのが40歳の亀山直央氏で、2年前に父の義比古氏(70)(現会長)から社長を継いだ。「現代にふさわしい伝統建築の様式美を追求したい」。亀山氏が社寺建築への思いを語る。
今年5月で40歳、不惑の年を迎えました。
亀山年齢を意識することはあまりありませんが、会社の「芯」は何かということを強く意識するようになりました。亀山建設にとっての芯は堂宮、社寺建築です。
ここがぶれることはないし、堂宮の建物と真正面から向き合っていきたいと思っています。
大学では、社寺建築ではなく現代建築を専攻されたそうですね。
亀山別に、社寺建築から目を背けていたわけではないですよ。現代建築の「デザイン」にはまってしまったというのかな。もちろん、寺院の屋根の軒反りとか大きな柱といった、伝統様式の美しさには格別のものがあります。
ただ、大学が教えるのは主に建築史的な知識としての学問で、僕が学びたかった伝統建築の技術や構法そのものではなかった。そこで、現代建築という自由な分野に関心を深めました。
現代建築の自由とは?
亀山設計時のルールが少ない、と言ったらいいでしょうか。美しいか、美しくないかの基準も人それぞれ。見る人の主観による。こうすれば必ず評価されるという絶対解がないわけで、ここに現代建築の自由があると思います。
自由度という点では、伝統建築と対極にあるかもしれません。
亀山そうですね。社寺建築には、江戸時代に編まれた『木割書』という書物があって、今でも使われています。設計意匠を部材寸法の比例によって定めた、いわば教科書のようなものです。お堂の種類によって定めてあり、自由が入り込む余地はほとんどない。
ところが不思議なもので、木割書の通りに建てれば大きな失敗もない。本堂は本堂らしく、山門は山門らしく建てることができる。そこに伝統建築の厚み、様式を感じますね。
現代建築を学んだ経験は亀山建設でも生きている。
亀山大学卒業後は、後に伊勢神宮の「せんぐう館」や宇治・平等院の「鳳翔館」などを設計される建築家・栗生明先生の指導を仰ぐため、千葉大の大学院に進みました。修士課程を修了して入社したのは、木下庸子先生と渡辺真理先生が主宰する設計事務所「設計組織ADH」。2年前の12年には、日本建築学会から権威ある日本建築学会賞を授賞されています。
ADHでは足かけ6年間、実地で設計と監理を学びました。先生のスケッチを基に、ひたすら図面を引く。模型を作る。
終電帰りが日常茶飯事という毎日でしたが、大学院やADHで得たのは立体感覚と空間感覚。現代建築を学ばなければ見えなかったと思います。
亀山建設のこれからをどのように描く。
亀山最初にお話ししたように、うちの本道は社寺建築です。でも、道は1本だけでなければならないとは思っていません。具体的には、現代建築の分野における設計・監理にも力を入れたいと考えています。「アーキポット」という現代建築専門の設計事務所を子会社化しているのも、そのためです。現代建築の設計ノウハウやスキルを、社寺建築にも生かしていきたい。
寺社の建物は、それが何百年も前に建てられたものだとしても、今この時代を生きているわけです。だからこそ、特に庫裡や客殿のように居住性が高い施設では、現代に適した使い勝手と機能性が求められてくる。当然、僕たちはそうしたニーズに応えられるだけの提案力を持っていなければいけない。
時代に適した、と言いましたが、変えてはいけない部分もあります。私たちにとっては、社寺建築の様式美がそれです。様式美を支える技術、といってもいいでしょう。
僕は社寺建築を、今を生きる技術にし、今を生きる産業にしたい。過去の技術でも過去の産業でもなく、過去、現在、そして未来へと続く営みとして継承していくことが僕の責任だと思っています。
目指すのは、強く美しく、そしてコストパフォーマンスの高い伝統建築。技術開発にはかなり力を入れていて、従来の手仕事と機械化の両立による技術継承と作業の高効率化、構造力学に裏付けされた技術改良など、質の高い建築を可能な限り低コストで実現させることが目標です。当社のモットーは、「技と心と夢の深まり」。社寺建築を通して表現していきたいですね。