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避難所となった当時を振り返りながら講話する本川住職
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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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“古里再建”道遠く 仙台市若林区を訪ねて

2016年3月30日 11時32分


荒浜小の屋上から見た景色。左が海岸線で、右に走るのがかさ上げ工事の進む塩釜亘理線。中央には墓地が広がる
荒浜小の屋上から見た景色。左が海岸線で、右に走るのがかさ上げ工事の進む塩釜亘理線。中央には墓地が広がる

海岸線から約700メートルにあり、児童と住民324人が避難した荒浜小。鉄筋4階建ての校舎で、約10メートルの高さの2階部分の手すりが曲がっている。完全に浸水した1階の天井は剥がれ、蛍光灯がさびている。黒板には「平常心」と書かれていた。

屋上に出ると街が一望できた。ただただ何もない、トラックと重機が行き交う広大な更地。初めて見る光景に大友住職夫妻も言葉を失った。

かさ上げ工事が進む県道塩釜亘理線を南下。海楽寺に近づくにつれ、整備された農地が広がっていく。門徒総代長の丹野幸志さん(71)ら15人が、農業法人「井土生産組合」を立ち上げ、3年前から大規模農業に挑戦している土地だ。

海水に浸り肥えていない土地で農業は難しく、丹野さんは「まだまだ売り物にならないけど、やっとスタートライン。震災前と変わらずここに寺があるのは励みになるね」と笑顔を見せた。

井土地区は、約100軒の集落だったが、再建されたのはたった5軒。他の地域に移り住んだ人も多い。100ヘクタールの農地の一角では、ネギが青空に向かって真っすぐ伸びていた。復興に向かう人たちの力強さを象徴している気がした。

海岸線から1・2キロにある海楽寺。庫裡にいた住職(69)=当時=の征夫さんが犠牲になった。流入した津波で屋外に流され、水が引くまでの約50分間、境内のビワの木に必死にしがみついていたが、低体温症で亡くなった。生前、「寺の立派な功績を残すより、お念仏を次につなげる存在になりたい」と話していたという。

その願いを受け継ぐ大友住職は、全壊した本堂を同じ場所に再建した。「事情はそれぞれなので『門徒さんに戻ってきてほしい』とは思いませんが、寺までこの地域から離れてしまったら、皆の帰る場所がなくなってしまいます。住む場所はバラバラでも、皆の心をつなぐ『古里』であり続けたい」と力を込めた。

駅への帰り道、語り部として震災の記憶を継承している長男の椋太郎さん(18)と、次男の柊人さん(13)が通っていた東六郷小の前を通った。柊人さんはこの校舎で一晩を過ごしたという。

来春の廃校が決まっているが、グラウンドでは地元のスポーツ少年団のサッカーチームが元気にボールを追っていた。大友住職は「子どもの声を聞くと元気が出ますね」と顔をほころばせた。

駅に着く直前、いずみさんが一つの数珠を見せてくれた。境内のあのビワの木で作ったという。柔らかい材質が手になじむ。「温もりを感じるんですよね」。言葉は少なかったが、この数珠が住職夫妻の“心の支え”になっているのだと感じた。(2016年3月16日号をご覧ください。中外日報購読申し込み