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<連載・断面>都市開教⑦

2014年6月27日付 中外日報

権威主義からの脱却 苦からの解放に帰り葬儀以外の活動展開

龍谷大大学院非常勤講師 西原祐治住職に聞く

2010年国勢調査の人口速報値によれば、首都圏、名古屋圏、近畿圏の三大都市圏へ人口が流入する一方、地方では人口減少が進む二極化が明らかになり、各教団にとって都市部での開教は今後さらに重要度を増す。しかし、これまで見てきたように、都市開教の明確な理念や実践論は確立されておらず、各教団は都市住民らの宗教的ニーズを探りながら試行錯誤を繰り返しているのが実情だ。自らも開教僧侶で龍谷大大学院実践真宗学研究科非常勤講師として「都市開教論」を担当する西原祐治・浄土真宗本願寺派西方寺(千葉県柏市)住職(60)は、これからの時代の都市開教には教団総体としての取り組みが不可欠と言う。

都市部の人たちの宗教的なニーズとは。

西原現代の表面に見える文化の特性は「安くて快適」、いわゆる欲望肯定型です。欲望を肯定する方向において仏教の需要は少ないでしょう。

しかし、欲望肯定の方向でも「怒らない作法」など、現代は欲望が物から精神(心の静寂など)へ向かっている現実があり、精進料理、ヨガ、観光といった、ファッション(自分の身を飾るもの)としての(宗教の)需要があるようです。それはそれとして重要ですが、需要は限定的です。

都市部で開教に取り組む僧侶には、純粋に教えを広めたいという人もいれば、生活のためにという人もいます。

西原たとえお金を得るためであっても開教に従事させるべきでしょう。浄土真宗について言えば、需要は葬儀の依頼が大半です。また葬儀以上の関係を寺院と結びたくないという人もたくさんおり、単発的な葬儀引受人も必要です。問題はそうした人たちを教団が体系的に有効に活用できていないことです。

開教の志があっても、周囲の同じ教団の寺院の反対、抵抗で布教所を開くことができず、やむなく葬儀社などと契約せざるを得ない僧侶もいるようですが。

西原周辺の寺院が反対する原因の一つは、葬儀法事の提供という同じパイを奪い合うところにあります。葬儀法事以外の活動の展開が、開教拠点の適正配置とともに課題です。

葬儀社との提携を嫌う開教専従者もいますが、積極的に利用する人が多いようです。約20年前までは、葬儀社との提携は暗黙のお返し(リベート)といったこともありましたが、最近は小さな葬祭業者を除いては(僧侶からのお返しに)正式の領収書を出す所がほとんどです。

これまでまったく縁の無かった未信の人たちに教えを伝えるためには、何が必要でしょうか。

西原ハード面とソフト面の対応が考えられます。ハード面では幼稚園や学校、福祉施設の拡充といった公共性を持った活動から、共同墓地、カウンセリング講座や各種セミナーの開催など、寺院のスペースを活用した活動が挙げられます。

ソフト面では、仏教は価値観の創造に寄与できる教えであり、抜苦与楽のための具体的な伝道ソフトの構築が不可欠です。宗教の最も基本的な「苦しみの解決」に立った伝道の在り方に立ち返ることが先決です。

都市部での開教の将来については。

西原伽藍や伝統教学という権威には重要な意味がありますが、ただ権威主義オンリーの活動から、そうした権威がまったく役に立たない人々の苦しみにどう対応できるかが、今後の開教の課題です。

伝道は僧侶だけがする必要はない。信徒もみんな伝道者だという意識をどう育んでいくか。教団にはそれぞれ信徒組織がありますから、こうした組織体が「私たちも全員が伝道者だ」という意識を持って活動を展開できれば、新たな展望が開けてくるでしょう。

都市開教はもちろん大切ですが、これを含め、これからの時代に寺院はどうあるべきなのでしょうか。

西原消費者庁の国民生活審議会のホームページに「少子・高齢化の急激な進行それ自体が問題なのではない。高度成長期に合理的であった過去の制度・政策に固執するあまり、少子・高齢化社会に上手く対応できていない社会システムの変革がなされ難いことが問題なのである」とありますが、少子・高齢化が進むこれからの新しい時代に、お寺がどのような社会的役割を担うかが重要で、そのことを個別の寺院だけでなく、教団としても真剣に検討していかねばなりません。

(おわり)