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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

はじめに(4/5ページ)

2011年12月22日付 中外日報
なお瓦礫が散乱する市街地。壊滅状態からの復興はまだ遠い(宮城県南三陸町で)
壊滅状態からの復興はまだ遠い

支えの根拠に信仰心

伴走した宗教者たち

振り返ってみよう。震災前にも各地で年間3万人という「孤立死」があり、自死、子供の虐待死が相次ぎ、貧困や残虐な犯罪の現場で、終末期医療、生殖医療といった生命倫理が問われる現場で、「いのち」の揺らぎが見られた。

そして、それらに自らの存在の意義をかけて取り組んだ宗教者たちがおり、彼らはこの震災でも当然のように行動を起こした。野宿者支援に携っていた牧師は「震災で社会全体が『ホームレス』状態になった」と被災者に伴走した。

檀家と強い絆で結ばれていた僧侶は、「そこにいること。それこそが住職」と、被災した寺を拠点に目覚ましい救援活動を繰り広げ、供養に奔走した。「仏様に背中を押された」。この宗教者たちの姿勢、日常から「苦」に立ち向かい、神仏に支えられながら人々に寄り添い続けてきた力そのものが「宗教性」なのかもしれない。

チェルノブイリの周辺ではなお子供たちの障害が深刻だ。各国で多くの犠牲者が出る災害が続き、戦火も絶えない。圧政と民衆との軋轢は大きくなるばかりだ。

世界が、おびただしい「苦」に満ちている。多くの人々がその中であえいでいる。一般の人々はその「苦」を「苦しみ」と考えるが、例えば仏教者なら、それは「人間の思い通りにならないこと」と受け止める。

そこに、宗教者が「苦」を抜き去るために人の「心」を支え、寄り添う根拠がある。だが一方で、現実の世の中は、実際の社会的な諸問題に働き掛けることなくしては変わらない。度重なるシンポジウムでは、それも「菩薩行」との指摘があった。

宗教者はどのようにすればよいのか。それはとりも直さず、あらゆる宗教が価値の根幹に据える「いのち」に寄り添うことだ。その道を探るため、「生老病死」の「いのちの現場」を訪ねる。