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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

序章(1/5ページ)

2012年1月12日付 中外日報
ケースに保管された身元不明死者の衣類などの遺品。遺骨もいつまでも引き取り手がない(宮城県亘理町、観音院で)
身元不明死者の衣類などの遺品(宮城県亘理町、観音院で)

帰れない多くの遺体

時計の針を巻き戻し、もう一度あの日からの時間をたどる。空前の犠牲と被害をもたらした東日本大震災から1周年を前に、被災地にはなお「苦」があふれている。

プラスチックの半透明のケースに、着古した白いジャージや下着などが詰められ、「男920」の番号が付いていた。死者257人を出した宮城県亘理町。境内で120人以上を仮土葬した真言宗観音院に、身元不明者の手掛かりとして着衣が保管されている。

震災から2カ月半後、遺族の悲嘆の中で無残な遺体が掘り出され火葬されたが、なお数体の遺骨は引き取り手がない。被災地では当初、棺も葬儀もなく多くの人が葬られ、昨夏の盆にもどこにも帰れなかった多くの遺骨が各地の寺々で安置されている。

東松島市では、むき出しの更地の土葬現場に番号を記した角材だけが墓標だった。塩釜市の住職は、7カ月を経て海岸に流れ着いた幼い男児の遺体の一部を供養しながら嗚咽をこらえた。

910人以上が亡くなった名取市。地区が壊滅した閖上では住民が互いに助け合おうとして津波から逃げ遅れた。役所に毎日張り出される犠牲者名簿の身元不明者の欄には「性別不明」「離断」「骨数本」の記載が消えることがなかった。

東京電力福島原発の事故の被害は深刻さを加える。初冬、計画的避難区域で全村が避難した福島県飯舘村に入ると、手元の線量計の数値が最高毎時5マイクロシーベルト台にまで跳ね上がった。

酪農家は、何頭もの牛の乳を搾っては捨てる毎日を送り、村外の仮設住宅から見回りに通う。死んだ牛を飢えた豚が食べていたという。県職員は20キロ圏内に放置された家畜の殺処分に入った。