ニュース画像
倒壊した浄土真宗本願寺派法城寺の鐘突き堂(むかわ町)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
時代を生きる 宗教を語る
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版
いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

序章(3/5ページ)

2012年1月12日付 中外日報
本堂修復も進み、ジャンパー姿で作業する住職や檀家、ボランティアたちにも笑顔が(宮城県山元町、普門寺で)
宮城県山元町、普門寺で

宮城県山元町の沿岸部は集落が根こそぎ流され、廃虚の荒野と化した。福祉施設では81人が犠牲になった。曹洞宗普門寺も本堂が大きく損壊し、法具や過去帳も流失した。墓は全て倒壊し骨つぼも散乱した。「一番苦しい時に、悲しむ檀家のよりどころが荒れたままでは申し訳ない」

住職は、一時は「もうだめだ」と思った自分に腹が立ち、「やらなけりゃ坊さんじゃない」と単身で復旧に取り組んだ。

当初は立ち入り禁止で町の復興計画次第では移転を迫られかねない場所。「ご先祖が眠る土地。ここでなければいけないんだ」と、つなぎ服に長靴で瓦礫を撤去し材木を担ぐ住職の姿に、檀家が避難先から足しげく訪れるようになった。

全国から噂を聞いてボランティアが集まった。地域支援の拠点にもなった。その寄せ書きが、廃材も活用して完成した本堂の向拝の傍らにある。「あきらめない心をありがとう」「勇気をもらいました」。人の心が集まる所、それが寺だ。

岩手県釜石市の高台にある日蓮宗仙寿院からは、市街地が黒い津波にのみ込まれ、人々が流されるのが見えた。孤立してライフラインも切れた境内には当日から何百人もが避難し、瓦礫の山で犠牲者があちこちに埋まった街を、住職はけがを負いながら7キロ歩いて食料調達に行った。

5カ月近くの生活支援。安置所で働き盛りの若者らの遺体に「釜石はこれで終わってしまうのか」と胸を締め付けられ、行方不明で遺品さえない檀家には戒名を記した「血脈譜」を骨つぼに入れて葬儀をした。できることは何でもやり心身の限界まで来た時、「お寺に仕えてきたから、こうして人に仕えることができる」と悟った。

避難者たちに笑顔をと、前夜から考えた冗談を飛ばす。いつからか、避難者全員が毎朝のお勤めに参加していた。「どこにいても仏教者でなければならない。そこが寺、そこが浄土です」

町並みが流された上に焼け野原となった大槌町。浄土宗大念寺の住職は寺を避難所に救援物資配送の中継地に開放し、4月末からは連日、多い日には10件もの葬儀を行った。不明者が950人以上と突出した同町。秋の彼岸も過ぎて肉親が見つからない檀家には、「無理しなくていいよ。いつまでも待つから」と声を掛けている。