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倒壊した浄土真宗本願寺派法城寺の鐘突き堂(むかわ町)
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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

死と向き合って 1(3/3ページ)

2012年1月14日付 中外日報

厳寒だ。盛岡地方気象台によると、この朝の最低気温はマイナス3・7度、日中でも6度強で、その後は震災で記録不能になった。

山に避難した百数十人が夜の闇に震えている時、瓦礫の泥沼となった町のあちこちで爆発音がし、火の手が上がった。ガソリンスタンドや漂流したガスボンベだ。

猛火が街並みをなめ尽くす。燃える家から人が助けを呼ぶ叫びも聞こえてきた。「寺に火がついたぞ」。誰かが大声を上げたが、知明さんは見る気力がなかった。火災は4日間も続いた。

数日して避難先から様子を見に戻ると、本堂は真っ黒に焼けた骨組みだけ。入り口に白ペンキで「3月18日 3体」と遺体確認数が記されていた。瓦礫を掘って中へ入ったが、本尊も仏具も過去帳もない。外では梵鐘が高熱で溶けちぎれており、墓地の低い所は壊滅していた。

町の犠牲者1300人余り。一面廃虚の焼け野原を前に、呆然とする日が続いた。「町がこんなで、そこに寺だけ再建してどうなるのか」

檀家も800人が被災した。「どうやって維持するんだ」と兄弟で口論にもなった。そんなところへ、「衣もなくていいから供養してくれ」「流された位牌を作り直したい」と、檀家から次々と連絡が入った。

檀家とのつながりの意味が問われている。「私らの代で寺を終わらせたら申し訳ない」。知明さんたちの復興の歩みが始まった。

(北村敏泰)