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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

死と向き合って 3(2/3ページ)

2012年1月19日付 中外日報

供養や葬儀の意味が深まる。両親を亡くした檀家の男性に、東京の親戚が「早く葬式をせねば」と催促した。「送るのが坊さんの仕事だろう」とも。だが男性は親の悲惨で唐突な死を受け入れられず、死亡診断書も見たくないという。

知明さんは答えた。「待ちましょう。気持の整理がつくまで、1年後でも構わんから。ちゃんと、盆も彼岸も供養してっから」

「以前なら親戚の方が正しいが、今は違います。『送る』というのは、単に故人を送るのではなく、送る側の心がきちんと落ち着かないと駄目です。あくまで、その人のためなんです。それを痛感しました」と言う。遺体が損傷してDNA鑑定もできない、遺体が見つからない、遺品さえない不明者についてなら、なおさらだ。

そうして葬式にまでこぎ着けた場合には、喪主の挨拶の際に必ず、「やっとこれで落ち着きましたね」と話すことにしている。兄弟で見送った死者は500人を超えた。

宮城、福島も含めて被災地では「葬儀が心の区切りになった」というケースが多い。政府の特例措置で行方不明者の「認定死亡」届の手続きも簡略化され、8月の盆を控えて、不明者も含め葬式が相次いだ。一方で、百カ日の「卒哭忌」を過ぎても盆が来ても、悲しみは終わらない。

各自治体は特例で「死亡推定」とされた不明者の家族にも災害弔慰金の支給を広げた。「届けを出したら二度と会えないと認めるようでつらい」と拒否する人もいる一方で、一家の大黒柱を失い被災で生活もできない肉親は、苦悶しつつ受け取る道を選ぶこともあった。

遺体もなく、まだ認めたくないという人々の心に添う宗教者の動きも目立つ。悲嘆には「区切り」はなく、癒えるまでの時は人さまざまだ。「グリーフケア」と言葉にするより前に宗教が心の糧になっているのだ。