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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

死と向き合って 10(2/3ページ)

2012年2月4日付 中外日報

道端に放り出された遺体を、縁者に届け、しっかり火葬することの極めて重い意味を感じた。そして死を契機として生きているいのちをいかに自覚すべきか、「供養とは、亡くなった仏様によって自分のことを認識するご縁である」と痛感したという。

言葉では「抽象的」な表現だが、極限の死の現場では具体的なすごみがある。この震災で、葬送や供養についてさまざまな論議が巻き起こっている。

関西から自発的に読経ボランティアに行った青年副住職は遺族の悲嘆を前に絶句し、頼まれもしないのに供養をして果たして良かったのかと自問した。これまで学び、説教してきた根幹が揺さぶられたという。

各地では当初は葬儀さえできない所も多く、遺体も遺骨もないまま形見や自宅跡地の土で弔いをする例や、形式が整わない例もあった。原発事故の警戒区域では納骨や墓参りもできない被災者がほとんどだ。

ある僧侶は支援活動に赴いた地元の人々の強い願いに応え、共に瓦礫と海に向かって手を合わせ読経した。「そんな行動はいかがなものか」と教団内からは批判された。

だが死者や不明者、住み慣れた土地への哀悼を込めた読経という「聖なる時間」がなければ、目前の復旧活動に追われる被災者には亡き人を思う時間さえなかったからと信じる。

被災地に張り付いた長野県・臨済宗妙心寺派神宮寺の高橋卓志住職(63)は、体育館の安置所で中年男性に依頼され、83歳の父親の遺体を弔った。

祭壇も花も遺影も何のしつらえもなく、2人きりで読経だけ。ところが、警備していた20人の警察官が集まって合掌し、棺を丁寧に運び、霊柩車の両側に整列して最敬礼で見送ったのだ。