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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

死と向き合って 10(3/3ページ)

2012年2月4日付 中外日報

「戒名も儀式もない葬儀など」という声は遠く離れた場所では聞こえる。しかし高橋住職は、棺の中にいる死者との深い関係性こそが重要と確信している。

「救出活動、遺体捜索や検視という厳しい死の現実を見ながら過酷な環境の中で仕事を続けてきた彼らだからこそ、その人の死の瞬間の無念さや恐怖を思うことができる。『共苦』の世界がそこに生まれる」という。

振り返って、これまで行われてきた葬儀はどうか。

日本経済新聞が昨年8月、インターネットで全国の男女千人に葬儀への意識を調査したところ、「自宅で」との回答が年代別で最多だったのは20代。また、「仏式」希望は20代で54%と3年前の調査より8ポイントも上がった。

「若年層に伝統回帰が見られる」と同紙は分析しているが、要はその内実であるのは当然のことだろう。

葬送関係の著述が多いジャーナリストで雑誌『SOGI』編集長の碑文谷創氏(66)は「そもそも原初的に嘆きがある。一人の固有の生を営んでいた人が死んだという事実があって葬儀は行われるもので、その人の死の事実に向き合わないで行われることは空しく、死者を冒涜するものです」という。

それは、今後もそうだ。福島の曹洞宗の住職は講演で「人は全ての人から忘れ去られた時にもう一度死ぬ。震災があり、多くの命が失われたことを忘れないでほしい。これが一番の供養です」と訴えた。

その一人一人に人生があった、同様のことが阪神・淡路大震災についても言える。17年目の今年1月17日に神戸ではさまざまな追悼行事が行われ、遺族たちが故人を弔った。その黙祷の輪には東日本大震災の被災者も加わった。

(北村敏泰)