● いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から
死と向き合って 11(1/3ページ)
2012年2月7日付 中外日報
日和山の下にはるかに広がる廃虚の荒野。壊滅状態で、復興の青写真も困難だ(宮城県名取市閖上地区で)

日常活動として仕事を
自分も社会の一員で
今年1月17日、神戸の街は二つの震災での犠牲者を弔う深い祈りに包まれた。17年前の阪神・淡路での6434人、そして死者1万5845人に不明者がなお3375人に上る東日本大震災。
中央区での早朝の催しでは日蓮宗住職やボランティアたちが「あなたを忘れない」という心を込めて鐘を撞いた。夕刻、長田区では一人一人への思いを胸にロウソクの灯に浄土宗住職や市民らが手を合わせた。神戸の追悼集会には、宮城県名取市の佐々木一十郎市長の姿もあった。
名取市役所1階ロビーの掲示板には、年が明けても960人余りの「死者・行方不明者」名簿が張り出されている。
震災直後から更新される頻度は極端に減ったが、ぎっしり記された氏名、住所の大多数は閖上地区。そして、末尾には「身元不明」欄が続く。
「女性 80~85歳くらい やせ型、35キロ 白髪短髪7センチ 左右両腕点滴痕 紫色トレーナー 紙オムツ着」と生前の姿を思わせるものもあり、「女性 70~80歳 左手に指輪 金色太陽のマーク 名取インター東のがれき下で発見」と簡単な記述や性別と身長だけのも。身元不明者の多くが70歳以上の高齢者だ。
そして一番最後には「離断」として「腕一本」などの記述が続き、「骨数本」の表示は引き取りが絶望的と想像された。この欄では死者の「物語」が消えている。