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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

死と向き合って 12(2/3ページ)

2012年2月9日付 中外日報

打ちひしがれたその背中に、マスコミの取材で何度も聞かれたであろうつらい同じ事を繰り返し尋ねることは、胸が痛んでできなかった。だが、うつむいたまま「これがうちの娘です」と示す、祭壇に添えられたわが子への「手紙」に、母の気持は全て込められていた。

「かわいいかわいい巴那ちゃんへ 9月3日のお葬式どうだった? 巴那とお兄ちゃんに喜んでもらえるように祭だんに音符とにじ(虹)をお花で作ってもらいました。お父さんとお母さんはあなたたちにこれくらいしかしてあげられません。

巴那の結こん式にはいろんなドレスも着せてあげたかったし、昔のおよめさんみたいに黒のふりそでも着せてあげたかったし……お父さんとお母さんの夢は夢でおわってしまいました。巴那、この手紙を読んだらお父さんとお母さんの所へもどっておいで。待ってるよ」

父母の優しい似顔と四つ葉のクローバーのイラストがあしらわれ、ビニールで覆われているが、雨でにじんでいた。

当時4年だった巴那ちゃんと6年の兄の堅登君を含め、犠牲になった児童らのことや当時の状況は何度も新聞に報じられた。そこに極度の「苦」の集積が見られたからだ。報道や関係者の話を基に振り返る。

地震発生で校庭に出た児童らは、そこに40分近くとどまった後、津波警報で「高台へ」の防災指針に従って避難し始めた。心配して迎えに来た保護者も交え、6年生を先頭に学校側の指示で西側の川の土手を目指したが、間もなく河口から6キロも川を遡った津波が前方から襲いかかった。

必死で引き返す高学年生と後方の低学年生とがぶつかって大混乱しながら逃げまどい、叫び声を上げる間もなく流されたという。