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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

死と向き合って 12(3/3ページ)

2012年2月9日付 中外日報

土手は「高台」ではなかった。とっさの判断で南東の裏山を目指した子は、斜面を駆け上がったり、流れてきた冷蔵庫をボート代わりにして逃げた。骨折した手で土砂を掘り、埋まった級友を救い出した男児もいたと伝えられる。

校舎2階まで水没した一帯はしばらく近寄れなかった。「助かってて」の願いで3日目にやっと現場に来られた巴那ちゃんの母(43)と父(49)の希望は砕かれた。瓦礫の間に児童らの遺体が横たわっていた。

どの子も同じだった。中学進学を前にセーラー服を買ってもらった女児。新しい自転車を自慢げだった男児。春休みに東京ディズニーランドへ行くのを楽しみにしていた友達同士。子供たちの夢は一瞬で消え去った。(「朝日」「毎日」「読売」各紙より)

堅登君は8日後に変わり果てた姿で発見された。だが巴那ちゃんは帰らず、9カ月以上を経て年の暮れになってもなお不明のままだった。「もどっておいで」は、せめて遺体でも、その顔をなでてやりたいという胸が張り裂けそうな叫びだったのだ。

祭壇には各地から慰霊に訪れた人によって小さな地蔵菩薩像も何体か供えられていた。帰り際、子供のような顔つきの10センチほどの像を手に取った母は「ニューフェースね。以前はそんなに関心なかったけど、お地蔵様って素敵だなあ」と独り言のように話した。

廃虚に夕日が傾くころ、僧侶が一人現れた。焦げ茶の法衣に輪袈裟を着け、持参した線香を祭壇に上げて念仏を唱える。周りには誰もいないが、毎日欠かさず続けているという。

絶望的な悲嘆を前に、祈りや供養がどれほどの慰めになるかは分からない。それでも、来る日も来る日も読経に通うしかない。そんな心境を僧侶はぽつりぽつり語り始めた。冷たい風に、校門の祭壇に立った小さな風車がカラカラカラと回る。

(北村敏泰)