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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

原発さえなければ 2(2/3ページ)

2012年2月23日付 中外日報

3月のあの日、地震で畑が波打った。夕刻から津波の被害を受けた海岸部から避難者が押し寄せた。多くの村民が出て温かい飲み物やイノシシ鍋を500人分作り振る舞った。

12日の1号機に続き、3号機が爆発した14日の夜に長谷川さんが役場へ行くと、異常な高線量が測定され大騒ぎになっていた。翌朝開いた区の総会は「子供を外へ出すな、マスクをせよ、畑の野菜は食べるな、服を脱げ」といった指示にパニック状態となった。「ベクレルって何じゃ」。多くの村民がいったん、数十キロ離れた福島市内などへ避難した。

政府は原発から同心円で避難区域設定をしたが、村は域外。長谷川さんらは風向きや測定値から「ここも危ないのでは」と訴えたものの、無視された。

研究者らが調査に訪れた長泥地区で、千マイクロシーベルトという途方もない数値が出ているのに子供たちが遊んでいるのを見て役場に駆け込んだが、「(原子力安全)保安院は大丈夫と言っている」と退けられた。そんな言葉を信じて、生活に困る村民らは「何も見えんし別状ない」と次々戻ってきた。避難先での苦悩も募っていたからだ。

だが4月11日に、村全部が計画的避難区域に指定されることが内定した。その前日にも「権威ある」大学教授が村での講演で「心配はない」と語った矢先だ。「ばかにすんでねえ!」。人々の怒りが爆発した。しかしこれ以降、村人たちの流浪の暮らしが始まった。

長谷川さんは「私らが体験している苦悩を自分の口で全国の人々に伝えるのが私の義務です。東北人は穏やかといわれるが、抑えてきただけ。もう堪忍袋の緒が切れたと政府にも言いたい」と、既に国会や各地の50カ所以上で全村避難の惨状を訴えている。

その姿は伝道行脚のようだ。曹洞宗大本山永平寺のシンポジウムや全日本仏教会でも講演し、論壇誌にも「原発さえなければ」と寄稿した。抽象的な「生き方」論議ではないその話に突き動かされた真言宗の女性僧侶は「脱原発」のデモに参加し、ある僧侶はブログで「No nukes(反核)」を世界に発信している。